高まる期待
最初、NINTENDO64が誕生した1996年末に「ゼルダの伝説64」は64DD用ソフトとして発売される予定だった。その後、1997年になってROMカセットでの発売に変更になり、さらに幾度かの延期を繰り返す。展示会でプレイ可能なバージョンが出展され、雑誌にも画面写真が載るようになる頃に1998年4月と決定したかと思えば、その1998年4月1日に”秋発売予定”と任天堂のホームページ上で延期が発表される。その後、サブタイトルが「時のオカリナ」に決定し、8月には11月14日発売、定価6800円と発表された。
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」はファミコンのディスクシステムで発売された初代「ゼルダの伝説」、「リンクの冒険」、スーパーファミコンで空前の大ヒットとなった「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」、ゲームボーイで発売され名作と言われる「ゼルダの伝説 夢をみる島」に続く人気シリーズの最新作である。度重なる延期、NINTENDO64のソフト不足による危機感、少しずつ公開される画面写真やシステム、自然とユーザー達の間で期待が高まっていった。
月: 2004年11月
任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 6章:NINTENDO64 1998年(1)
パッとしない年明け
1998年も年明けはあまりソフトが出揃わない。前年末にディディーコングレーシングとヨッシーストーリーが売れていたがそれに続くものがなかった。その中、2月28日に発売されたのが任天堂のスノーボードゲーム「1080°スノーボーディング」だ。若干時期遅れの発売、コース数が少ない、2人までしか対戦できないなどマイナスポイントは多かったが、リアリティーのある雪の質感や、手応えのあるコース設定、操作性などが評価される。ゲームとしてのクオリティーと実売数のアンバランスさは1996年に発売されたウエーブレースのそれを彷彿とさせる。何が原因なのだろうか。任天堂内部で開発チームと広報の連携が上手く取れていないようにも思われる。このソフトに関して、1年後の冬にもCMを流してPRしたいと任天堂の宮本氏がコメントするが、実際にCMが流れることはなかった。
3月に入り、マリオカート64とスターフォックス64が、それぞれ同梱されていたコントローラと振動パックが付属しない単体版として4800円で再発売される。3月26日には「実況パワプルプロ野球5」を含めコナミが3本のソフトを同時に発売するなど、多くのソフトが発売される。しかしその後、4月から6月にかけて、月に3本程度のペースに落ちていく。
任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 5章:NINTENDO64 1997年(2)
出揃うソフト
6月に入ってから「スターウォーズ帝国の影」などが発売され、月に2,3本程度というペースであるが次第にソフトが出そろってくる。しかし、相変わらずジャンルは3Dアクションに偏ったままで本体の普及もままならない。そんな中、8月23日にレア開発、任天堂発売の「ゴールデンアイ 007」が発売される。同名の映画を題材とした主観視点型3Dガンアクションといういかにも一般受けしないジャンルで、まったく売れる要素のないソフト。しかし、購入したユーザーの評価は非常に高かった。従来のような爽快に敵を打ちまくって先へ先へ進む単純なゲームではなく、スパイさながらに遠くからライフルで狙撃したり、敵に気づかれることなく静かに行動したり新鮮な快感がある。そして、なにより対戦プレイの評判が非常に良い。相変わらず難易度は高いのだがレアの底力を見せつけるソフトであった。海外ではマリオ64に次ぐ売り上げとなる700万本以上の売上げを達成し、様々な賞を受賞。のちにレアは同じシステムを使ったソフト「パーフェクトダーク」を発表する。
DSにTouchしまくってきたぜ
全国5会場で開催されたTouch!DSのオーラス、福岡会場に行ってきた。行列とかかったるいので開場前行列を避けて30分後に会場入り、会場内でも短い列のゲームだけをプレイしてきた。まあ、買う予定のソフトは触ってもしょうがな … 続きを読む
任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 4章:NINTENDO64 1997年(1)
強敵登場
1997年1月、NINTENDO64ではなくプレイステーションで次世代ゲーム機戦争の決着を決定づけるソフトが登場する。スクウェアがファミコン、スーパーファミコンとシリーズ6作を発売してきたファイナルファンタジーの最新作、「ファイナルファンタジーVII」だ。このソフトでプレイステーションがスーパーファミコンの市場を受け継ぐハードと認識されるようになる。プレイステーション本体が売り切れになるほどの反響でプレイステーションの勝利を確実な物にしていく。
一方、そのときNINTENDO64はどのような状態だったのだろうか?──何もしていなかった。1月、2月と1本もソフトが発売されることがなく、1997年に最初に発売されたソフトは3月14日の「実況パワフルプロ野球4」である。これは1996年の「実況Jリーグ パーフェクトストライカー」に次ぐコナミのNINTENDO64ソフト第二弾となる。コナミが参入したことはNINTENDO64にとって大きな助けとなるが、コナミのほうとしてはマルチプラットフォームの一環としてNINTENDO64に参入したにすぎない。それでも、ROMカセットによるレスポンスの良さ、3Dスティックの操作性の良さからコナミのスポーツゲームをするならNINTENDO64に限る、という印象を少なからず植え付けられたことは低迷を続けるNINTENDO64にとってプラスとなった。
任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 3章:NINTENDO64 1996年(2)
ソフトが出ない
ソフトが3本しか発売されていないこと、ソフトに割高感があること、今後の予定が不透明なこと、様々な要因の中でNINTENDO64は爆発的には普及することはなかった。任天堂に危機感がなかったのだろうか、それとも開発上の問題があったのだろうか、同時発売の3本のソフト以降まったくソフトが発売されない状態が続いた。7月、8月と夏休みの間に1本もソフトが発売されず、次のソフトが発売されたのが9月も終わりに近づいた時期である。
DSにTouchしてきたぜ
近所にトイザらスに試遊台が入ったのを確認。「直感ヒトフデ」「さわるメイドインワリオ」「きみのためなら死ねる」の3台。いずれも体験版バージョンとなっていた。 試遊台は背の低いお子様でも遊べるようにチルト機構のついたアームに … 続きを読む
任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 2章:NINTENDO64 1996年(1)
NINTENDO64発売
1996年6月23日、NINTENDO64が発売された。本体にはコントローラ1つ、ACアダプタ、説明書のみが同梱された。テレビとの接続に必要なAVケーブルはスーパーファミコンのものがそのまま流用できたからである。本体の形状は曲線を多用し今までの無骨な任天堂のハードとはちょっと違う印象を受ける。NINTENDO64の名称は全世界で共通の名称として用いられ、デザインも同じものを世界中で発売したのが原因だろうか。それまでは日本と海外では別のデザイン、名称で販売していた。例えばファミリーコンピューターは海外でNES(NINTENDO ENTERTAINMENT SYSTEM)という名で発売され、形状も日本のものとは異なっていた。余談だが、MOTHER2の主人公ネスの名はこの海外版ファミコンの名称から名付けられたものだ。
任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 1章:NINTENDO64 発売前夜
第三次ゲーム機戦争勃発
1990年代前期のゲーム業界はスーパーファミコンを擁した任天堂の天下だった。そして、1990年代中ごろにセガがセガサターンを、ソニーコンピューターエンターテインメント(SCEI)がプレイステーションを相次いで発売し、ゲーム業界は”次世代ゲーム機戦争”と呼ばれる競争の時代に突入した。仮に1980年代のファミリーコンピューターを中心とした市場争いを第一次ゲーム機戦争、スーパーファミコンやメガドライブなどが争った1990年代前期を第二次ゲーム機戦争とすると、これは第三次ゲーム機戦争と呼べるだろう。次世代機が発売されたあとも前世代機であるスーパーファミコンのソフトが次々と発売され、利益を上げていたため任天堂は悠然と構え、急いで次世代機を投入しようとはしていなかった。
1995年、任天堂は次世代機”NINTENDO64″を発表する。この次世代機については1993年にシリコングラフィック社と共同で開発を進めていると既に発表されていたが、名称やコントローラ等の形状が公開されたのはこの時期になる。それまではウルトラ64と呼ばれていた。任天堂は「ゲームが変わる ロクヨンが変える」のキャッチコピーを携えてNINTENDO64を1996年6月23日に定価25000円で発売。第三次ゲーム機戦争に参戦した。