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2004年12月01日

いまのところはここまで

当時の雰囲気そのままに以前掲載していた記事を掘り起こしてほとんど文章をも改めずに掲載してみた。当時書いたのは2000年末まで。64DDやGBなども書こうと思っていたが、止まっている状態だ。頃合いをみて続きを書こうかと思っている。 タイトルに21世紀とあるのに20世紀で終わっているのはご愛敬。 カテゴリ表示で読むと一気に読めます。上下逆順だけど.....続きはこちら

2004年12月01日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 12章:NINTENDO64 2000年(2)

NINTENDO64の反省 8月24日に任天堂はスペースワールド2000に先駆けて"Nintendo,The Upcoming Generation"という名の業者向け展示会を開催した。そこでNINTENDO64の後続機であるNINTENDO GAMECUBEが発表され、2001年7月の発売とアナウンスされる。 その展示会で開発者の口からNINTENDO64について「反省」という言葉が飛び出した。.....続きはこちら

2004年12月01日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 11章:NINTENDO64 2000年(1)

低年齢層対象ソフトのヒット 前年末の発売ラッシュの後、2000年のNINTENDO64は静かにスタートした。この年、任天堂発売のソフトで最初に出たのは「星のカービィ64」である。3DCGを使って描写された2Dのアクションゲームで、開発は任天堂と長いつきあいのあるHAL研究所である。低年齢層を中心にヒットし、最終的に70万本以上を売り上げて2000年の全ゲームソフトのなかで9番目に売れた。HAL研究.....続きはこちら

2004年12月01日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 10章:NINTENDO64 1999年(2)

それでもソフトは発売される 任天堂の主力は次世代機に移っていた。しかしそんな状況でも任天堂はソフトを発売し続ける。6月には「マリオゴルフ64」が発売される。開発は任天堂ではなくキャメロットである。キャメロットはプレイステーションで大ヒットした「みんなのゴルフ」を開発しており、そのノウハウを使ってマリオゴルフを開発した。単純にキャラをマリオ達に差し替えたのではなく、様々な要素を盛り込んで飽きない作り.....続きはこちら

2004年12月01日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 9章:NINTENDO64 1999年(1)

ロングヒットの登場 任天堂の1999年はハル研究所開発のソフト「ニンテンドウオールスター大乱闘スマッシュブラザーズ」(以下、スマブラ)で明ける。マリオをはじめとする任天堂の人気キャラクターを使った対戦格闘ゲームであるが、有象無象の対戦格闘とは一線を画する"乱闘"ゲームだった。相手の体力を0にするのではなく場外に持ち込む点、3Dスティックを"はじく"事により強力な攻撃が出来る点、4人同時対戦でまさに.....続きはこちら

2004年12月01日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 8章:NINTENDO64 1998年(3)

クリスマスが勝負の分かれ目 時のオカリナ発売後、12月には16本のソフトが発売される。1996年の頃を考えるとかなりの数だ。どのゲーム機でもそうだが、12月には大量にソフトが発売される。クリスマス、ボーナス、冬休み、そして正月とゲームソフトを買う機会が多いため12月に発売することのメリットは多い。しかし、大量のソフトが発売されるため他のソフトとの差別化が図れないと大量のソフトの中に埋もれてしまって.....続きはこちら

2004年11月30日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 7章:NINTENDO64 1998年(2)

高まる期待 最初、NINTENDO64が誕生した1996年末に「ゼルダの伝説64」は64DD用ソフトとして発売される予定だった。その後、1997年になってROMカセットでの発売に変更になり、さらに幾度かの延期を繰り返す。展示会でプレイ可能なバージョンが出展され、雑誌にも画面写真が載るようになる頃に1998年4月と決定したかと思えば、その1998年4月1日に"秋発売予定"と任天堂のホームページ上で延.....続きはこちら

2004年11月30日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 6章:NINTENDO64 1998年(1)

パッとしない年明け 1998年も年明けはあまりソフトが出揃わない。前年末にディディーコングレーシングとヨッシーストーリーが売れていたがそれに続くものがなかった。その中、2月28日に発売されたのが任天堂のスノーボードゲーム「1080°スノーボーディング」だ。若干時期遅れの発売、コース数が少ない、2人までしか対戦できないなどマイナスポイントは多かったが、リアリティーのある雪の質感や、手応えのあるコース.....続きはこちら

2004年11月30日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 5章:NINTENDO64 1997年(2)

出揃うソフト 6月に入ってから「スターウォーズ帝国の影」などが発売され、月に2,3本程度というペースであるが次第にソフトが出そろってくる。しかし、相変わらずジャンルは3Dアクションに偏ったままで本体の普及もままならない。そんな中、8月23日にレア開発、任天堂発売の「ゴールデンアイ 007」が発売される。同名の映画を題材とした主観視点型3Dガンアクションといういかにも一般受けしないジャンルで、まった.....続きはこちら

2004年11月27日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 4章:NINTENDO64 1997年(1)

強敵登場 1997年1月、NINTENDO64ではなくプレイステーションで次世代ゲーム機戦争の決着を決定づけるソフトが登場する。スクウェアがファミコン、スーパーファミコンとシリーズ6作を発売してきたファイナルファンタジーの最新作、「ファイナルファンタジーVII」だ。このソフトでプレイステーションがスーパーファミコンの市場を受け継ぐハードと認識されるようになる。プレイステーション本体が売り切れになる.....続きはこちら

2004年11月27日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 3章:NINTENDO64 1996年(2)

ソフトが出ない ソフトが3本しか発売されていないこと、ソフトに割高感があること、今後の予定が不透明なこと、様々な要因の中でNINTENDO64は爆発的には普及することはなかった。任天堂に危機感がなかったのだろうか、それとも開発上の問題があったのだろうか、同時発売の3本のソフト以降まったくソフトが発売されない状態が続いた。7月、8月と夏休みの間に1本もソフトが発売されず、次のソフトが発売されたのが9.....続きはこちら

2004年11月26日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 2章:NINTENDO64 1996年(1)

NINTENDO64発売 1996年6月23日、NINTENDO64が発売された。本体にはコントローラ1つ、ACアダプタ、説明書のみが同梱された。テレビとの接続に必要なAVケーブルはスーパーファミコンのものがそのまま流用できたからである。本体の形状は曲線を多用し今までの無骨な任天堂のハードとはちょっと違う印象を受ける。NINTENDO64の名称は全世界で共通の名称として用いられ、デザインも同じもの.....続きはこちら

2004年11月26日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 1章:NINTENDO64 発売前夜

第三次ゲーム機戦争勃発 1990年代前期のゲーム業界はスーパーファミコンを擁した任天堂の天下だった。そして、1990年代中ごろにセガがセガサターンを、ソニーコンピューターエンターテインメント(SCEI)がプレイステーションを相次いで発売し、ゲーム業界は"次世代ゲーム機戦争"と呼ばれる競争の時代に突入した。仮に1980年代のファミリーコンピューターを中心とした市場争いを第一次ゲーム機戦争、スーパーフ.....続きはこちら

2004年11月26日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 0章:まえがき

任天堂株式会社は、明治22年9月23日に創立された。京都に本社を置き元々は花札の製造販売を主な業務としていたが、ファミリーコンピュータをはじめとする家庭用ゲーム機を生み出したことで有名だ。あまりに圧倒的なシェアを誇っていたため、「帝国」と揶揄される事もしばしばだったが常に順風満帆だったわけではなく、幾度かの "ゲーム機戦争" と呼ばれる企業間の熾烈な争いに巻き込まれ、そして勝ち抜いていった。海外で.....続きはこちら

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