2021年03月11日

シンエヴァを鑑賞した人たちを鑑賞した[ややネタバレあり]


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2021年3月8日、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を公開初日に見た。
記事タイトルがちょっとアレなのは後で説明する。

新世紀エヴァンゲリオンと私

自分とエヴァとの出会いは再放送だった。本放送当時はアニメーションに疎く、おそらくエヴァンゲリオンという単語に出会ってもいなかっただろう。
1997年の再放送時に鑑賞した記憶はあるものの、全話通しては見ていないはずだ。自分の中では面白いアニメの一つに過ぎなかったと思う。

それから10年が経ち、リメイク第一作のヱヴァンゲリヲン新劇場版:序が公開される。
「序」から自分とエヴァとの接点が変わっていく。

2007年は、Twitterが日本において影響力を持ち始めた時期でSNSでの交流が活発になっていた。
とはいえ、Twitter日本語サービスの正式リリースは2008年4月である。英語版のツールに飛びつく新しもの好きが「お互いTwitterの利用者である」という希薄な接点でコミュニティを形成していた。

そういう変なコミュニティではいろんな人達と触れ合うことになり、その中にエヴァマニアもたくさんいた。
そうすると、エヴァに対する感情クソデカツイートをたくさん目撃するようになり「エヴァって思ってたよりすごいコンテンツなのか」とだんだんと理解できるようになってきた。
とはいえ、まだ映画館に行ってアニメをみるという習慣はなく、「破」公開に合わせて地上波で放送されたテレビ版「序」で初めて鑑賞した。

もともと考察は好きな性分なので、「序」「破」で騒いでいる人達を見ながら、深みにはまっていくことになった。「破」以降は映画館で鑑賞している。
それからさらに10年と少しの時間が過ぎて、今この文章を書いているのである。

感想が溶け合ったLCLの海

ネタバレ防止のために朝からSNSを封印して初日夜にレイトショーでシンエヴァを見た。

sin_eva_01.JPG

感想をアウトプットしたいが他の人へのネタバレを配慮したい。こういうときに音声SNSは都合がいい。
AirPodsをつけて、交通機関が終わった夜の街を徒歩で帰宅しながら友人たちと感想をぶつけ合った。

その翌日もいろんなエヴァマニアと長く話をした。クソでか感情を吐き出した感想文もたくさん読んだ。そうして、上映時間の何倍もの時間をかけて感想を摂取した。
その結果、どうなったかというと「どこまでが自分が映画館で見た内容で、どこまでが感想で得られた知識なのか」「どこまでが鑑賞時に自分の頭に浮かんだ感想で、どこまでが友人の語った感想で、どこまでがその感想を聞いて改めて思った感想なのか」その境界線がすべて曖昧になってしまい、全部溶け合って海になってしまった。

私は今、感情が混ざりあった海を泳いでいる。
もはやこの海から、自分が映画を見て感じた純粋な感想を抽出できなくなってしまったのである。

そういうわけで、今回の感想文は私が3月8日にTジョイ博多9番スクリーンで鑑賞したシン・エヴァンゲリオン劇場版:||に対するものではなくなってしまった。この記事タイトルはそういう意味だ。
感想文の書き出しも、エヴァとの出会いをしたためた自分語りから始めてしまった。みんながそうしていたからだ。

解呪

100人いれば100通りの感想がある。
しかし、溶け合った海から飛び出して、俯瞰してみると、概ね「エヴァを終わらせてくれてありがとう」と、この海は語っている。
いろんな経緯から、いびつな形に膨れ上がった新世紀エヴァンゲリオンを、こういう形でまとめ上げてくれた。作品としての評価は人それぞれだが「シンエヴァはエヴァを終わらせてくれた」は多くの人が納得する感想だろう。

エヴァに魂の一部を持っていかれたまま、人生の片隅にエヴァを伴いながら生きてきたエヴァマニアにとって、終わらせるということは大変ありがたいことだ。
呪いを解かずに投げ捨てたり表舞台から去ってしまうクリエイターが少なくない中で、きっちりと畳んでいった庵野秀明は立派な大人だ。

エヴァマニアがどうしようもなくエヴァに囚われているように、私はKing of Prismという呪いに人生をからめ取られている。
菱田。聞いてるか、菱田。
庵野はエヴァを終わらせたぞ。菱田、お前は法月仁を救ってくれ。

新たな呪い

話をきっちり終わらせてきたとはいえ、シンエヴァの中で新たな謎ワードを大量にぶちまけてきた。
そのへんは単なるマクガフィン、物語になんとなく重厚感を持たせるための舞台装置でしかないんじゃないかな。そう思いつつも、意味のないものに意味を探すのがマニアで、呪いを解かれても自分で新たな呪いを生み出すのだろう。

庵野秀明が生み出したエヴァは終わった。
マニアは面倒くさいもので、庵野秀明がどういう意図でこのシーンを作ったのかというひとつ上のレイヤーの考察を始める。
そして庵野秀明が作る新たな物語の中から、エヴァ要素を見つけ出し、終わったはずのエヴァに新たな解釈を書き加えていく。
彼らは今後も語り合うだろう。死ぬまで。比喩や誇張じゃなく、ほんとに、その生命を終えるまで。

友人は「俺たちは老人養護施設でエヴァ語りするんだよ」と言っていた。
呪いは恐ろしい。

今度は泣けるかな

友人たちとの会話で、自分はまだ真剣にエヴァと向き合っていないなと感じた。
あの場面で泣いた、あそこは声が出そうになった。そういった事を何度か耳にした。
自分は上映中、色んな感情の高ぶりはあったけど涙腺は全く無反応だった。
今さら彼らの域に到達は無理だし、あそこまで呪われたくもない。
それでも彼らの見た景色を低解像度でも良いから眺めてみたいのだ。

もう一度見に行こう。今度は、そっくりさんを見て泣けるだろうか。

友人の一人は「EOE見ずに今作見た人いるの?」と言っていた。
EOEはエンド・オブ・エヴァンゲリオン、つまり旧劇場版の「Air/まごころを、君に」だ。
おっ!?オタク特有のマウンティングか?と思いつつ、記憶をたどる。
そういやあんまり覚えてないな。あれ?もしかして見てなかったかも。

というわけで、Netflixで「DEATH (TRUE)2」と「Air/まごころを、君に」をサクッと鑑賞した。
劇場版新カット部分でも見覚えがあるので一応見ていたらしいが記憶は曖昧だった。

なるほどシンエヴァで引用されている要素が多い。
そりゃ、EOE繰り返し見てる人たちは感想がクソでか感情なるわ。しゃーない。

12日の夜にIMAX版の予約をした。
それまでに序破Qを見返そう。
二度目のシンエヴァを見たあとは、溶け合った海に新たな感想を投入しよう。

こうやって、呪いは感染を広げていくのだろう。

解像度の高い感想たち

しっかりとエヴァと向き合っていない人間の感想を続けてもしょうがないので、エヴァと魂が溶け合ってそうな人達の感想リンクを置いて、本記事の終わりとする。

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