地震から約1週間。個人で現地に乗り込むのはまだ難しいが、そろそろ道路事情も改善されてきて、ちゃんと組織された団体であればボランティアが現地入り出来るようになってきたようだ。
ボランティアの現地入りには賛否両論あるが、主に都市部で被災した阪神淡路大震災と違い、今回の震災では広いエリアで小さな町が多数被災している。自治体によるトップダウンの指揮ができなかったり、自治体自体が破壊されている状態もあるため、小規模な民間組織が多数現地入りしたほうがきめ細かな支援ができる可能性がある。さすがに個人だと何も出来なくなる可能性があるので、現地入りする人はボランティアを募集しているNPO法人などに相談しよう。
いずれにせよ、ボランティア経験のない自分が現地入りしても足を引っ張りそうだし、交通費を考えると、遠く離れた地にいる自分の支援はお金を送るのが一番効率がよさそうだ。
とりあえずここ数日の広告収入で得られた数千円とプラスアルファを寄付しておいたが、今後の状況を見て随時追加で寄付していこうと思う。復興には長い時間がかかる。1年後も、2年後も、余裕があれば随時寄付したい。
さて、14日にGoogle経由で寄付できることを紹介するついでに寄付したことを公表したが、次のようなコメントが付いた。
募金に応ずるならブログで自慢するのでは無く黙々とやれ
それから自分に都合の悪いコメントを消すな
結局、アフィリエイト稼ぎが目的だから、そんなあさましい事を平気でやるんだ
人の不幸を自分の利益にするな
※都合の悪いコメントを消したというのは誤解で、他人の名前を騙っていたずらをしていた人のIPアドレスの書き込みを全部非公開にしただけ。他の反論コメントは残してある。
前述のように広告収入以上の寄付をしているので利益にするというのは筋違いだと思うが、仮にアクセス数稼ぎ目的で寄付を公表してもいいんじゃないかと思う。
以前から、寄付したことを公表した人、とくに著名人に対して「売名行為だ」と非難する人を見かける。
売名行為を非難している人は、タレントが飲食店にサインを残したり、歌手がワイドショーでインタビューをうけるのも非難するだろうか?そういった非難はあまり見られない。
どうも寄付行為に対してだけ、やたらと非難が多い気がする。
無言での寄付が美徳だと感じる文化はたしかにある。その証拠に、今年のはじめに「伊達直人」を名乗る匿名の寄付が流行した。
しかし、2人目以降の「伊達直人」が、どうして寄付をしようとしたのかを考えて欲しい。最初の「伊達直人」が寄付をしたことが、マスコミで大きく扱われたことで、寄付をしようと考えたのではないだろうか?
寄付をするにはきっかけが必要だ。きっかけは多ければ多いほうがいい。誰かが寄付をしたことを公表することで、他の誰かの寄付につながる。
昨日、ちょっとした実験をしてみた。
深夜にコンビニで買物をするときに、レジに店員が1人しかおらず、会計するときに後ろに2人並んでいた。会計を済ませ、レジを離れるときに、わざとゆっくりと千円札を取り出し、それを折りたたんで募金箱に入れてみた。
レジを離れ、遠くから眺めると、後ろに並んでいた男性がつり銭を募金箱に入れてくれたのだ。
もともと、募金をするつもりで私の行動は関係なかったのかもしれないが、募金への心理的なハードルを下げられたと思う。
やはり、だれかの寄付のきっかけになるのであれば、寄付したことは公表すべきだと思う。
地震後、多くのblogを見てきたが寄付方法や募金サイトのリンクを掲載しているblogに比べ、寄付したことを公表しているblogが非常に少ない。
私のblogよりも、もっとアクセスが多く、影響力があり、広告収入が多いblogはいくらでもあるはずだ。額は出さなくてもいいから、寄付したことを記事にして欲しい。
『寄付しましょう』なんて言わないんだぜ、俺達の世界じゃ…『寄付しましょう』って思った時にはすでに行動は終っているからだッ!! 『寄付した』なら使っていいッ!!
私のときのように、売名行為だと罵る人が出てくるかもしれないが、そういう人は極少数だ。気にする必要はない。
芸能人も、チャリティーイベントを計画するより先に、100万円寄付した、1000万円寄付したと大々的に発表して欲しい。
企業も積極的に寄付したことをプレスリリースで流して欲しい。同業他社が全部寄付していれば、尻が重い会社も寄付するはずだ。
会社同士、見栄を貼り合って寄付額を競いあうような状態になるのが一番理想的だ。もっとゲーム感覚で寄付しよう。
…たいした額を寄付していないのに偉そうなことを書いて申し訳ありません。ご意見がある方は各々納得のいく額の寄付をしてからご意見ください。
※一部、文面を差し替えました。
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