2005年04月19日

レビュー:エレクトロプランクトン


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タイトル:エレクトロプランクトン
発売:任天堂
開発:インディーズゼロ
発売日:2005年04月07日
価格:4,800円(税込み)
amazonで購入

まずこのレビューを書くに当たって次の問いに対する答えを提示したい。
「エレクトロプランクトンって買うべき?」
こう聞かれたら私はこう答える。
「迷うのなら買わないほうがいい」

そして、「エレクトロプランクトンを買ってよかったか?」と聞かれたら迷わずに「最高!」と答える。

エレクトロプランクトンはゲーム機で動作するソフトウェアだが、ゲームではない。岩井俊雄氏の生み出したメディアアート作品だ。岩井氏やこの作品そのものに関するうんちくは公式サイトなどを参照していただきたい。

このソフトはゲームではないが、これからのゲームを考えるための良い足がかりとなりそうだ。

電源を投入するとシンプルなメニューが表示される。
「エンソウスル」「カンショウスル」それとヘッドフォンとスピーカの切替のみだ。
エンソウスルを選ぶと10種類のプランクトンを選ぶ画面が表示される。プランクトンを選んだらそのプランクトンで音を出して遊べる。ペンでさわって、マイクで呼びかけて、たまにボタンを押すだけだ。説明書なしで十分に楽しめるが、説明書と合わせて楽しむほうがよさそうだ。単純明快であるがゆえに、琴線に触れるものがなければものの5分で飽きてしまうが、そのときは別のプランクトンと遊べばいい。

至ってシンプル。
自由度が高い。
果てしなく自由だ。

この自由度はどうやって手に入れたか?

徹底した制約の排除を元にしてエレクトロプランクトンは自由度を手に入れた。
排除した制約は大きく分けて3つある。まず、データを記録することで生じる制約。それと、複雑化に伴う制約。そして、もうひとつは目的を示すことで生じる制約だ。

複雑化は一般的なソフトにおいて自由度の向上に役立つ。

例えば、スーパーマリオブラザーズとスーパーマリオ64の場合におけるマリオのジャンプを伴わない水平移動の場合。スーパーマリオブラザーズでは左右の歩行とBダッシュの二種類しか存在しないが、スーパーマリオ64では軸が一つ増えたおかげで移動方向が左右だけではなく360度の自由度を手に入れた。そして、スティックの傾きでダッシュや忍び足まで移動速度が数種類に変動する。複雑化したおかげで軸の自由度と速度の自由度を手に入れたことになる。

もうひとつ例をあげよう。スマッシュブラザーズシリーズにおいて、対戦は非常に柔軟な設定を行える。1回落下したら負け、3分間で落下した回数が少なければ勝ち、評価が高ければ勝ち、コインをたくさん集めれば勝ち。パラメータの設定を非常に複雑化したことでさまざまなルールでの対戦が可能となった。

操作そのものの複雑化を極めれば、ゲームよりもシミュレータに近い存在になってしまうかもしれない。設定の複雑さはゲームの敷居を限りなく高くする。これらのバランス取りがゲームの出来を左右するのではないだろうか。

エレクトロプランクトンでは設定自体が出来なくなっている。バランス取りをしなければならない重要な箇所で極端な選択をあえて行った。
 それはなぜか?

家庭用ゲームの歴史において、初期はデータを記録して次回のプレイに引き継ぐ機能が存在しなかった。まずは同じ場所から再開するコンティニューが生まれた。次にデータを文字列に変換して、それを入力することで前回の続きが遊べるパスワードが誕生した。そして、現在のメモリーカードなどと同じようにデータを記録するバッテリーバックアップが可能になった。

エレクトロプランクトンではセーブ機能が備わっていない。作り上げた音や録音した音を残すことは出来ない。
 それはなぜか?


二つのなぜ?が出てきた。
これらの答えは3つ目の制約「目的」を排除したからだと私は考える。

多くのゲームには目的がある。多少の例外はあるが、RPGであれば目の前の敵を倒すことが短期の目標、イベントをこなすことが中期目標、エンディングに到達するのが最後の目的となる。クリア後はレアなアイテムを集めたりする。これも暗示的に作られた目的だ。

短期的目的にも最終目的もまったく提示しなかった場合、セーブ機能は足かせにしかならないのではないだろうか。なぜなら、記録したデータの保護が自然発生的に目的として生じてしまい、何らかの要因でデータが望まない状態に変化してしまった場合にストレスを感じてしまうからだ。複雑な設定も存在しないのならばそもそもセーブも必要がなくなる。

そして、複雑さの排除も無目的と関連付けられる。プランクトンのひとつ、ハネンボウがやや異質ではあるが、それ以外のプランクトンでの目的の排除は非常に徹底している。あらゆる数値が画面上に存在しない。ゲームにつきものの得点なんてものは当然現れない。得点を表示しない、プレイした足跡を記録しないということは価値観の固定を嫌ったからではないだろうか。

何らかの数字を表示すれば、その数字が大きければ良いという単純な図式が発生する。点数が高ければ良いなんてのは勝手に決められたゲームの文法だ。何もそれに従う必要はない。エレクトロプランクトンにおけるプレイの評価基準はプレイヤ自身の心地よさだけしかない。気持ちよくなるためにプランクトンに触れるのだ。

既存のゲームではどうやって気持ちよくなるだろうか?多くのゲームでは心地よさに達成感が占めるウェイトが大きい。
明示的か暗示的かにかかわらず、到達の困難な達成すべき目標が提示され、それに到達することを目的として反復動作を行い、失敗と再挑戦を繰り返し、結果として目標を達成したときに、一気に抑圧から解放されることで心地よさを得る。これが多くのゲームにおける心地よさ=達成感の発生のプロセスだ。

単純にいえばアメとムチ。それゆえにさじ加減を誤るとゲームがストレス増幅装置になってしまう。
目標達成時に発散されるストレス量において、開発者とプレイヤの間に錯誤があったとしたら?
目標の達成が想像以上に困難だったとしたら?
プレイ中に蓄積されるストレス量が発散されるストレス量を容易に上回る。目標達成=ストレス発散のためにプレイヤが遊びやすいようにしなくてはならない。それがゲームの複雑化につながる。


話をまとめよう。
エレクトロプランクトンはプレイしたときに心地よくなるためのソフトだ。
開発者から目的が示されることは無い。心地よさを得るために邪魔になるものはすべて排除した。
だからセーブをすることも設定をすることもできない。

人形(もしくはロボット)でいう自由度とは関節の動きの数を示す。首を例に取るとうなづくときの前後の動き、首をかしげる左右の動き、そして振り向くための回転で3自由度となる。自然な動作を行うようにさせるには自由度を増やせば良い。そして、肘は180度以上には開かないなどの細かな制約をそれぞれの自由度に与える。こうして自由度を増やすと制御が大変になる。人形を立たせるという単純な目標でさえ到達が困難になる。自由度の追求のためにどんどん複雑化してポーズを取るのも大変になる。

人形にさらなる自由度を与えるという課題を出されたときに、岩井氏は粘土の固まりドンと置いた。
このインパクトは大きい。

ところで、私は2004年のベストゲームにドンキーコングジャングルビートを選んだ。それはなぜか。このソフトが「新しい」からだ。
詳しいレビューを書いているので出来ればそちらに目を通してもらいたいが、このソフトはオーソドックスなマリオタイプ2Dアクションをタルコンガという一風変わったデバイスで操作するソフトである。私はこのソフトを慣例として成立してしまっているアクションゲームの文法を操作面で再考した記念碑的な作品だと認識している。

ただ、操作方法は画期的ではあったが、ゲームの中身としてはコンボシステムが目を引くものの、ゴールへの到達、ラスボスの撃破、高スコアの追究という旧来のゲーム然とした目的追究のソフトであった。
エレクトロプランクトンは数字が大きければ良い、時間が短ければ良い、おまけ要素をたくさん出せば良いというゲームの文法を根底から否定した。究極の無文法ソフトだ。ゲームでないのだから当然といえば当然だが、この潔さを見習ったゲームが出てきても良いんじゃないだろうか。


さて、この画期的なエレクトロプランクトンは「買い」だろうか?
やはり買いかどうか聞かれたら私はこう答える。
「迷うのなら買わないほうがいい」
それは感覚的なソフトだから。価値観は人それぞれだからだ。

だが、少なくとも自分は素晴らしいと感じた。

キラキラとした一見豪華なパッケージと、バンドブラザーズの初回限定版に付属したものと同じヘッドフォンはやや蛇足に感じたが、手書きの説明書はこのソフトをより楽しむために非常に役に立った。
パラパラと説明書をめくりながら一つ一つのプランクトンを楽しむ。
トレーシーはどうもきれいな音が出せずに数分で飽きた。
ハネンボウはなるべく多く弾むように角度をいろいろと変えて何十分とプレイした。
ルミナリアは赤くて早い奴がうるさかったので、それ以外の3匹をグルグルと走り回らせた。
ツリガネムシが楽しくて仕方がない。適当につついても良い感じで曲が出来る。まるで自分が音楽家になった気分だ。
他のプランクトンも十分に堪能し、こうしてすべてのプランクトンを触り終わるまでの約2時間。たっぷりと堪能した。

音も心地よいが、グラフィックも素晴らしい。
コンピュータがドットを寄せ集めて描いた絵とは思えないのは、シンプルな曲線と単色グラデーションによるものだろうか。それともプランクトンが生きていると感じさせるからだろうか。特に最大ズームしたときのナノカーブの動きが愛らしくてしかたがない。

ぬるめのお湯をバスタブに満たしてビニル袋で防水したDSを風呂に持ち込んだ。
オーディエンスモードでプランクトンたちの動きを、音を堪能する。
いろんな事を忘れて心が満たされていくのを感じた。

ときどき思い出したようにDSの電源を入れる。
そこにあるのは不思議なプランクトンの住むちいさな世界。
先端数ミリのペンの先が自分とその世界の接点。
ちょっとした干渉で音が、絵が変化する。
この瞬間、DSはゲーム機ではなくなり、このちいさな世界への覗き窓となる。
心地よい。たまらなく心地よい。
最高だ。

くどいようだが、エレクトロプランクトンをプレイする目的は心地よくなることだ。心地よさなんてものは主観の塊であって、触ってどう感じるかというのは非常に個人差がある。実際に買って「つまらない」と言う人に対してとやかく言うつもりはないし、無理に購入を勧めるようなことはしない。ペンで触って音を出すという行為に心地よさを感じない人が4800円を支払うべきではない。

だったらもっと安ければいいのか?というとそんな単純なものではない。

何事も数値化しないと落ち着かないのか知らないが、価格の話に呼応するように原価の事を持ち出したがる人がいる。単館上映のドキュメンタリ映画と数百スクリーン以上で公開の娯楽映画を単純比較して、同じ鑑賞料金なら制作費がかかっているほうを選ぶのだろうか。この映画は1時間30分、こっちは3時間。だったら3時間のほうがお得だな、なんて考えるのだろうか。さらに入場者数を見てどれぐらいの収益があったのかを皮算用したりするわけだ。
原価率の計算はすべての作品に対する冒涜だ。そういうのをゲスの勘ぐりという。そういう行為はご飯を食べながらコメ農家に思いをはせるときだけにするか、経理の人間と株主にやらせておけば良い。いちユーザがわざわざ口出しすることではない。

エレクトロプランクトンには得点の表示が無い。
こうした下品な数字の話とは別世界を楽しめる。
少し肩の力を抜いて、きれいな音の鳴り響くちいさな世界の窓に触れてみるのも良いんじゃないだろうか。


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コメント

私はエレクトロプランクトン買おうかどうか悩んでましたけどちょっと保留にしようと思います…
ゲームは人それぞれ感じ方が違うので実際に触ってみないとわからない事がおおいですしね だから自分がたまらなく欲しくなるまで待ってから買おうと思います(^o^)
あれっくすさん次のレビューも楽しみにしてます また切れ味のあるレビューを披露してくださいね(>◇<)

私は、ほとんど一目惚れ状態で購入しました。
青い水の世界、愛らしい微生物、綺麗な音、どれもツボでした!
これは、正にゲームじゃなく、最高の癒し系玩具ですね。

自分もこのゲームは心地よさを得るためのゲームなんだろうなと思いました。

しかし、自分はやっぱりそういうのは求めてないです。
でも気持ちは読んでいてわからなくもありませんでした。

目新しいソフトよりメテオスみたいにゲームの面白さを追求するためにニ画面、タッチパネルを生かしたソフトを激しく希望ですね。目新しいのが嫌なんじゃなくてDSには目新しさを目指したソフトが多いからこそ、ラインナップにバラエティ―が欲しいです

任天堂らしいシンプルで分かりやすいタイトルだと思った。
このタイトルは、ゲームでは無いけど、ゲームの本質を考える上で教材としてプレイすべき内容であることは確か。
PSPでもルミネスがあるが、あのタイトルもパズルを楽しむんじゃなく、音とシンクロを楽しむ内容であり、エレプラにどことなく通じるものがある。
個人的には、こう言った内容は必要だと思うし、出しすぎず少なすぎずと言った形で出すべきかと。
他社のゲーム機に映画や音楽を聴く機能があるように、任天堂はゲーム的コンテンツでこういう内容を作り上げていくべきだと思う。
ゲーム機はあくまでゲームをするものであり、映画や音楽を楽しむ機器では無いのだから。

今、売ってると思う??

このソフトの為にNDS購入。
パッケージを店頭で見て、サイトで内容を見て、やってみたくなった。

NDSLiteが徐々に買えるようになってきた2006年の5月頃です。
時々ふと、触りたくなるときがあるんですよね。

面白そう、やってみたい。と、思った人が遊べば良い。
そう思わなかった人は遊ばなくていい。
そういうソフト。

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