2004年11月26日

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 1章:NINTENDO64 発売前夜


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第三次ゲーム機戦争勃発
1990年代前期のゲーム業界はスーパーファミコンを擁した任天堂の天下だった。そして、1990年代中ごろにセガがセガサターンを、ソニーコンピューターエンターテインメント(SCEI)がプレイステーションを相次いで発売し、ゲーム業界は"次世代ゲーム機戦争"と呼ばれる競争の時代に突入した。仮に1980年代のファミリーコンピューターを中心とした市場争いを第一次ゲーム機戦争、スーパーファミコンやメガドライブなどが争った1990年代前期を第二次ゲーム機戦争とすると、これは第三次ゲーム機戦争と呼べるだろう。次世代機が発売されたあとも前世代機であるスーパーファミコンのソフトが次々と発売され、利益を上げていたため任天堂は悠然と構え、急いで次世代機を投入しようとはしていなかった。

1995年、任天堂は次世代機"NINTENDO64"を発表する。この次世代機については1993年にシリコングラフィック社と共同で開発を進めていると既に発表されていたが、名称やコントローラ等の形状が公開されたのはこの時期になる。それまではウルトラ64と呼ばれていた。任天堂は「ゲームが変わる ロクヨンが変える」のキャッチコピーを携えてNINTENDO64を1996年6月23日に定価25000円で発売。第三次ゲーム機戦争に参戦した。

カセットの搭載
先行してた2つの次世代機はCD-ROMを搭載し、大容量を生かして音声や動画をゲーム内に盛り込んでいた。しかし、NINTENDO64はスーパーファミコンと同様にカセット方式を採用して発売される。CD-ROMを採用しなかった要因として、CD-ROMはコピーが容易で海賊版が出回る恐れがあること、CD-ROMドライブを搭載すると価格が高くつき故障が多くなること、ディスクは子供にとって取扱が容易ではないこと、カセットはCD-ROMよりもアクセスが速いことなど多くの理由を任天堂は示した。また、カセットでは価格は高くなり容量は少なくなるが、将来的にROMの容量が増えて価格も下がることを予測して大したデメリットにならないと判断した。そして、"64DD"(ディスクドライブ)という周辺機器を搭載することでも容量の不足を補う考えもあったと思われる。当初、64DDの発売は1996年末を予定しており人気ソフト「ゼルダの伝説」の続編を投入する予定だった。

しかし、カセットを選んだ本当の理由は別のところにあると言われている。ソフトが市場に出るには次のような過程を経なくてはいけない。メーカーがソフトを開発するとそのデータを任天堂に持ち込み生産を委託する。カセットの製造は任天堂のみが行っているからである。このとき何本製造するかメーカーが決めて任天堂と交渉するのだが、メーカーの思い通りにならない場合もある。任天堂は製造用の自社工場を持たず、ROMを外部に発注するため数が揃わない場合があるのだ。さらにカセット1本あたり数千円と言われているライセンス料を任天堂に前金で支払う。その後ようやくカセットが製造され市場に出回る。任天堂はソフトが売れても売れなくても利益を上げることができるシステムだ。この利益を手放したくないからこそカセットにこだわったのではないだろうか。

特徴的なコントローラ
カセット方式を用いたこと以外にもNINTENDO64には特徴的なことがある。そのコントローラだ。他のハードのコントローラと比較して明らかに大きく、グリップが3本もある。その中央には十字キーに代わる3D(サンディ)スティックと呼ばれるアナログ方式の方向指示装置が搭載され、右にはA,Bボタンとともに、4つのCボタンが配置されている。左は伝統の十字キーである。グリップが3本あることからコントローラの持ち方は3通りある。ゲームによって様々な使い方が出来る、遊び心のあるコントローラだ。本体には標準で4つのコントローラポートを装備しているためコントローラさえそろえれば多人数対戦が可能となる。また、コントローラの背面に記憶装置であるコントローラパックを接続してデータをカセット外にも保存できるようにした。カセット内に電池を搭載しデータを保存するバッテリーバックアップではカセットの単価が高くなるため、その代用として使うことができる。しかし、コントローラパックの容量は少なく、次第にコントローラパックを用いるソフトは少なくなっていった。

25000円のスーパーコンピュータ
NINTENDO64はコードネーム"プロジェクトリアリティー"と呼ばれていた。それは当時の家庭用ゲーム機では不可能だった真のリアリティーを表現できるマシンという意味からである。それまでのゲーム機では開発者によって与えられた画像の組み合わせでしか画面が表現できなかったが、プロジェクトリアリティーではその状況に応じて各点の座標等を計算し、それを表示することが出来るようになった。同じキャラクターが画面上に出ていても、状況が変わればテレビ画面上に表示される映像は全く違うものが現れる。その様な3Dの演算処理をリアルタイムに行い、表示することは当時のスーパーコンピュータークラスの処理能力が必要であった。その様なマシンは当然ながら普通の人が手に入れられるものではなく、ましてゲームなどという用途に使えるわけがない。そんな状況だった。それでもプロジェクトリアリティーの開発チームは徹底したコスト削減で25000円まで価格を下げることに成功し、スーパーコンピューター並のゲーム機が容易に購入できるようになった。

ゲームを変える
3Dの演算処理が可能だったのはNINTENDO64だけではない。その前に発売された次世代機も同様に3Dのゲームを売りにしていた。それらとNINTENDO64のどこが違うのだろうか。NINTENDO64は3D空間を自由に動かすためのアナログスティックを標準で搭載し、ソフト開発者の色々な試みに対応できるように十分な性能を持たせ、同時に自由にハード特性を変化させることが出来るようにしたことで、何でも出来るハードになっていた。つまり、生まれながらの3D用ハードであり、ハード開発者からソフト開発者に向けた挑戦状でもあった。スーパーファミコンで使われたアイデアをそのまま綺麗な画面にしてムービーを付けたり、単純に3Dの画面に置換するのとは次元が違う。それはまさにNINTENDO64のキャッチコピーである「ゲームを変える」をNINTENDO64のみが達成する事を意味している。全く新しい挑戦がNINTENDO64では可能になり、既存のゲームとは一線を画するゲームを生み出せる。しかし、それは今までのアイデアを流用できない、開発が困難になるなどの問題をはらんでおり、後に様々な弊害を生み出しNINTENDO64の普及を阻んでくるようになる。


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この記事の前後の記事
2004年11月26日:任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 2章:NINTENDO64 1996年(1)
2004年11月26日:任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 0章:まえがき

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