衝撃的ニュースのあとに攻撃対象を探すのはやめよう
7月18日に京都アニメーション第1スタジオで起きた事件は、国内外に衝撃を与えた。
私自身も京アニ作品が好きだし、友人に京アニ関係者もおり(無事でした)、ひどく心を痛めている。
世界中から支援の輪が広がり、7月末時点で寄付金が10億を超えたという。私も京アニの口座開設と同時に1万円の寄付を行い、貯金箱に溜まっていた1万円弱の硬貨はアニメイト店頭の募金箱に投入してきた。今後も機会があれば寄付を続けたいし、彼らの作品に対してお金を使っていきたい。
※寄付の公表については8年前のこちらの記事をご参照ください
寄付は黙ってやった方がいいの?アピールしちゃだめなの?
飛び交うデマ
多くの人たちが心配する中、事件後の混乱状態で様々な情報が飛び交い、その中にはデマや根拠のない憶測が多数含まれていた。
・第1スタジオは防火基準を満たしていなかった
・普段はロックされているセキュリティがNHKの取材のために解除されていた
・NHKのディレクターと容疑者に接点があった
・容疑者から殺害予告が来ていたのに放置していた
他にも根も葉もない上交は大量に流れていたが、これらの情報はいずれも否定されている。
混乱している状況下で誤った情報が流れることは仕方がない部分はあるものの、誤った情報がなぜこれほどまでに拡散されたのだろうか。
被害者に落ち度があってほしい?
容疑者から事情聴取が出来ない状況で、事件の全容が明らかになるのはだいぶ先になる(もしくは、永遠に真相がわからない)と思われるが、少なくとも現時点で京都アニメーション側に重大な落ち度があって発生した事件ではない。
被害が大きかったのもガソリンの化学的性質に起因するもので、どれだけ防災意識を高めても結果はあまり変わらなかっただろう。
しかし、まるで「京都アニメーションに何らかの落ち度があってほしい」と願っているかのように情報発信をしている人たちが、結構な人数で存在している。
観測範囲の問題なので「そういう人は見かけない」という人たちもいるだろう。SNSを検索すれば大量に出てくる(しかし、胸糞悪くなるので検索しない方が良い)
なぜ彼らは京都アニメーションのあら探しをするのだろうか。
ここで「公正世界信念」というキーワードが出てくる。
公正世界信念(公正世界仮説)とは
公正世界信念(もしくは公正世界仮説)とは、「人々は一般に良い人には良いことが起こり、悪い人には悪いことが起こるという信念を持っており、そのため悪いことが起こった原因はその人の日頃の行いの悪さに帰属される」という考え方である。(※1)
「情けは人の為ならず(善行は巡り巡って自分に還ってくる)」「因果応報(人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある)」という言葉でも説明できる。
こちらのスライドがわかりやすいので2ページ抜粋する
人はなぜ被害者を責めるのか?(公正世界仮説がもたらすもの) | 受賞作品 展示室 社会 | 心理学ミュージアム - 日本心理学会
ただ、良い作品を作るために一生懸命働いているだけだったのに、突然理不尽に殺される。そういった受け入れがたい事件は、自分に起きてほしくない。彼らは何らかの落ち度があったから、犠牲になったのだ。だから自分とは関係がない。
そういった心理で、被害者と自分を断絶するために、公正世界信念傾向が強い人達は被害者のあら捜しを行い、被害者バッシングにつながるような情報を見たら拡散しようとする。
公正世界信念は悪か?
公正世界信念によって、被害者はいわれのないバッシングを受ける。
それならば、そういった考えは悪だと切り捨ててしまったほうがいいのだろうか。
ある研究(※2)によると、公正世界信念の強さと主観的幸福感(自分がどれだけ幸せだと思っているか)、未来への志向性(将来の目標に対して努力する傾向)に正の相関があるとわかっている。つまり、公正世界信念があるほどハッピーで努力家になるということだ。
公正世界信念と逆の「不公正世界信念」の傾向が強いと、逆に主観的幸福感と未来への指向性が低い傾向がある。努力しても報われるわけではないという考えなので、たしかにそうだろう。
公正世界信念が強いほうが幸せな人生が送れるのである。
しかし、彼らの幸福のために被害者が犠牲を払うのはおかしい。
実は、公正世界信念には実は、もう一つの側面がある。
先程から指摘している「悪いことをしたからひどい目にあう」というのは「内在的公正世界信念」で、それとは別に「究極的公正世界信念」がある。
「究極的公正世界信念」は、「不公正によって受けた損失が将来的に埋め合わされると信じる傾向である。自分が知るに至らなくとも,被害は将来的に回復されると考える。被害の回復は現世で行われる必要はなく,来世でも構わないという、宗教性の強い長期的視点を含む信念である」とされる(※2)
被害者たちに対し「落ち度があったから被害にあった」と疑いの目を向けるのではなく「あれだけひどい目にあったのだから、これから(来世では)きっといいことがある」と信じる考え方だ。
なお、究極的公正世界信念の傾向が強い人達も、主観的幸福感と未来への指向性は高いとされる。
個人的には輪廻転生を信じないので、来世を持ち出すのは反則だと思うのだが、絶対的公正世界信念で来世での救済を願うほうが被害者バッシングをするよりよほど健全だ。被害者のあら探しをするよりも、亡くなった方々の来世と、生き延びた方々の未来の幸福を祈ろう。
内在的公正世界信念がもたらすもう一つの被害
被害者バッシングにつながる内在的公正世界信念はもう一つの問題を抱えている。
「公正世界信念の強さは,加害に至る理由が説明不可能で,被害者の被害の回復も望めない場合,加害者の悪魔化(demonize)や患者化(patientize)といった非人間化(dehumanizing)による信念維持方略につながる可能性が指摘されている」(※2)
要は「犯人は悪魔だ、病人だ、人じゃない」という考え方だ。
悪いことをしたらひどい目にあうという思想もあるので、被害者の厳罰化、更生の否定の傾向も強くなる。なにか事件が起きるたびに「死刑にしろ」と言ってる人たちなどが該当する。
これが、捜査や裁判を経ていない段階で発露すると、冤罪を生む。
スマイリーキクチさん中傷事件も内在的公正世界信念がもたらしたものだろう。デマをもとに彼を叩いていた人たちは、自分たちの信念をもとに正義を執行したつもりでいた。
東名あおり運転事故加害者の勤務先として無関係な会社に営業妨害を行った人たちも同じだ。
京都アニメーション事件でNHKを攻撃している人たちの心理も同じだろう。外野から見ればデマをもとに無関係ない人たちを攻撃する困った人たちだが、彼らは(自分たちの)正義を貫いている。
加害者が悪魔であれば、悪魔を生み出した家族もまた悪魔であり、悪魔は滅ぼさなければならないと考える人達がいる。そういった人達によって、凶悪事件加害者の家族が自殺に追い込まれることは過去にも何度か発生している。言うまでもないが法治国家において、私刑は許されない。
衝撃的ニュースのあとで心の平穏をもたらす方法
重大な事件の報道を見て心の平穏が乱されたとき、なにかアクションを取らないと平時に戻れないといった心理と、内在的公正世界信念が組み合わさった結果、被害者バッシングや過剰な加害者叩きが発生する。
なにかアクションを取りたい、でもどうすればいいのか。
そのときに我々に出来ることがある。寄付だ。寄付をしよう。
寄付をすることで「衝撃的な事件が起きたが、自分にもできることがあった。できることはやった」という区切りをつけることができる。
内在的公正世界信念に基づけば「寄付をした自分は、きっといいことがある」と信じることもできる。そして、他に寄付をした人に対しても「あの人は寄付をした。だからきっといいことがある」と思うようにしよう。みんなの将来に良いことがあることを願って。
だから、私は叫ぶ「私は寄付をした」
寄付先はこちらです。どうか、皆様も無理のない範囲でご支援ください。
ご支援の御礼とご案内 - 新着情報 | 京都アニメーションホームページ
※1:Lerner, M. J. (1980). The belief in a just world: A fundamental delusion. New York: Plenum Press. 日本語要約は被害者の否定的要素と量刑判断 山岡 重行 風間 文明(2004)より引用
※2:被害者非難と加害者の非人間化―2 種類の公正世界信念との関連―村山 綾 三浦 麻子(2015)
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