2007年03月07日

福岡ゲームクリエイターズサミットまとめ その1


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前回前々回の記事に続いて福岡ゲームクリエイターズサミットのまとめ。

おそらく、みんなの興味は「堀井さんはドラクエについて何か話したのか?」とか「桜井さんはどうして休んだの?」とか「メタルギアの新作はどれぐらい進んでる?」といった方面にあると思うんだけど、その話はおいといて、まずは今回のイベントのコンセプトについて説明しようと思う。

GFFについて
まず、GFFというのがどんな集団かということから。

2003年に福岡のゲーム会社三社「レベルファイブ」「サイバーコネクトツー」「ガンバリオン」が、一般向けのゲームイベント「GAME FACTORY FUKUOKA」を開催。これがすべての始まり。この3社に4社が加わり、合計7社で翌2004年に福岡をゲーム開発の世界的拠点とすることを目的とした団体「GFF」が結成された。GFFはなにかの略称というわけではなくて、正式名称だそうな。

さらに2006年にはGFFと九州大学、福岡市の三者が手を取り、「福岡ゲーム産業振興機構」が設立。人材育成や市場開拓のために動いている。

7社で発足したGFFは加盟社が増えて現在、次の9社がGFFのメンバーとなっている。()内は代表作等

  • 株式会社レベルファイブ(「ローグギャラクシー」、「ドラゴンクエストIX」、「レイトン教授と不思議な街」)
  • 株式会社サイバーコネクトツー(「.hack」シリーズ、「NARUTO ナルティメットヒーロー」)
  • 株式会社ガンバリオン(「ワンピース アンリミテッドアドベンチャー」、「ジャンプアルティメットスターズ」)
  • システムソフトアルファー株式会社(「大戦略」シリーズ)
  • 有限会社エレメンツ(「凱歌の号砲」)
  • 株式会社アルファシステム(「式神の城」、「ガンパレードマーチ」)
  • 株式会社算法研究所(「ジャンヌダルク」のプログラム開発)
  • 株式会社ペガサスジャパン(「シミュレーションRPGツクール」、「ビクトリーボクシング」)
  • SAMURAIホールディングス株式会社(携帯ゲーム機向けソフト多数)

    この中でアルファシステムだけが熊本で、他はすべて福岡の会社。詳しい人なら分かると思うが、ほとんどの作品が別の会社、いわゆるパブリッシャーの名義で発売されたものになっている。要するに、GFFメンバーは開発会社、ディベロッパーの集団ということだ。

    ディベロッパーは普段、表に名前が出てこないし、ましてそれが福岡の会社ということなんて誰も知らない。実際、ジャンプアルティメットスターズを買った数十万人のユーザーの何割が福岡の会社で作られたということを知っていただろうか?

    だからこそ、今回のようなイベントで自分たちの存在をアピールしたのではないだろうか。会場は福岡の中心部で、会場にも相当な金がかかっているなと感じた。協賛や後援に福岡県や福岡市の様々な団体が名前を連ねているが、主催であるGFFメンバーは結構な資金を今回のイベントに投じたのだと思う。GFF創設時の3社はヒット作続きで資金が有り余っているのかも知れないが、以前にも東京でGFFの合同就職説明会を開催していたこともあり、才能を集め切れていないのかも知れない。とにかく知名度を上げ、地元や他の地域から人材をかき集めるために今回のイベントが催されたのだろう。

    余談だが、レイトン教授の説明書にレベルファイブの住所が2つ書かれていて、4月に引っ越しを予定しているようだ。引っ越し先のビルの近くをよく通るのだが、地下鉄に直結した駅徒歩0分の立派な新築ビルだ。このビルの中でドラクエ9が作られるんだなと思うと、意味もなく感慨深く思ってしまう。

    福岡ゲームクリエイターズサミット開幕
    本題に戻って、トークセッションについて。

    桜井氏欠席のお知らせ。残念。会場はホテルの中で、一般参加者とプレスをあわせて400人程度が入る規模。地元テレビ局のテレビカメラも入っていた。待ち時間の間は、GFFメンバーの開発したソフトの映像が延々スクリーンに流れていた。たぶん、体験会会場で流れていたものと同じ。

    最初は上記GFFメンバーの社長や取締役の紹介。芸人のような挨拶をするサイバーコネクトツーの松山社長が印象的。.hackのラジオに出演したりもしてて、喋るのが好きな人なのかも。

    GFFの会長を務めるレベルファイブの日野社長の挨拶に続いて、ゲストの紹介。ゲストは以下の5名

  • 株式会社エンターブレイン社長 浜村弘一氏
  • ゲームデザイナー 堀井雄二氏(「ドラゴンクエスト」「いただきストリート」)
  • 株式会社コナミデジタルエンタテインメント執行役員 小島秀夫氏(「メタルギアソリッド」「スナッチャー」)
  • 株式会社セガR&Dクリエイティブオフィサー 名越稔洋氏(「デイトナUSA」「F-ZERO GX/AX」「龍が如く」)
  • 株式会社ソニーコンピュータエンタテインメント シニアゲームデザイナー 上田文人氏(「ICO」「ワンダと巨像」)

    本来はこれに

  • 有限会社ソラ 桜井政弘氏(「星のカービィ」「大乱闘スマッシュブラザーズ」)
    が加わる予定だったんだが…、本当に残念。

    浜村氏曰く、「こういうドタキャンというのは、ソフト開発の土壇場になることが多いんですけど彼の場合はまだ先なので、本当に急病。」とのこと。風邪かなぁ。ノロウイルスとかだったりして。スマブラXの開発に支障が出なきゃ良いけど。

    ここで、司会の女性から浜村氏にバトンタッチ。

    クリエイター紹介:堀井氏
    トークセッションはゲームクリエイターの堀井雄二氏から。

    浜村 大学生の頃からゲームをされていたんですか?
    堀井 大学生の頃はインベーダーゲーム、あれははまりましたね。その前はブロック崩しからはまってた。
    浜村 じゃあ、ゲームが始まったときからずっとやってらしたと。
    堀井 そうですね。ファミコンが出たのはだいぶ後になってから。


    浜村 エニックスのコンテストでプログラムを出されましたよね?
    堀井 そうですね。27歳ぐらいの時に、漫画の原作をしていたときに新聞の記事でコンピュータでプロットを作っている記事があったんですね。コンピュータってそんなことができるんだって思って買ったんだけど、そういうことは出来なくて、自分で適当にベーシックでプログラムを組んで。
    浜村 自分で遊ぶために?
    堀井 ええ。そのときちょうど、エニックスさんのゲームプログラムコンテストがあって、ぼくは少年ジャンプにいて、「コンテストをやるので取材に来てくれませんか」と来たんですよ
    浜村 取材に来てくれってきたんですか
    堀井 そうそう。それで応募用紙があって、試しに出してみたの。
    浜村 じゃあ、応募するつもりじゃなかったのに出したと。
    堀井 そう。それで300通ぐらい応募があって、10ぐらい選ばれて、優勝しちゃった。


    浜村 このあと、ポートピア殺人事件。
    堀井 これね、さっきのテニスゲームは自分で遊ぶ用だったけど、これはエニックスから「何かゲームを作ってください」って依頼があったの。ということは「あ、人にやってもらえるんだな」と。
    浜村 このころってアドベンチャーゲームは無かったんじゃないですか?
    堀井 なかったですよ。ちょうど、ログインって雑誌があって、「アメリカでアドベンチャーゲームが流行っている」っていう3ページぐらいの記事を読んだだけなんですよ。そういや、なんとなく出来そうだなと。
    浜村 じゃあ、あまり資料とかなくて、自分で?コマンドとかも他じゃなかったですよね?
    堀井 これ(画面写真)は、ファミコン版なんで。パソコン版のときはコマンドを自分で入力してたんです。
    浜村 あっ。そうでしたね。懐かしいですね。


    浜村 その後がドラゴンクエストですね。アドベンチャーゲームもそうですけど、日本の家庭用ゲーム機の思考型ゲームって堀井さんが一番最初に作ってらっしゃるのが多いですね。
    堀井 そうなんですかね
    浜村 そうですよ。まちがいなくそうですよ。やはり、物語を紡ぐものを作りたいと。
    堀井 漫画の原作やってて、コンピュータと知り合って、インタラクティブ性?こうしたらこう返ってくると、それがすごい楽しかったですよ。ぼくはもともとすごくいたずら好きで、その延長ですよ。
    浜村 そういえばドラクエの最初の頃って意外なリアクションが多いですね


    浜村 やはり気になるところは聞いてみたいんで。ドラゴンクエスト…まずはソードから。ソードは今、どれぐらい作ってるんですか?
    堀井 もう…ちょっと、ですかね。なかなかWiiのコントローラの最後の調整が難しくて。
    浜村 でも、剣神ドラゴンクエストが前にあったじゃないですか。
    堀井 あれとはコントローラが違うんですよ。剣神は向こうから撮っているけど、Wiiはリモコンから来ているから反応が違うんですよ。
    浜村 ゲーム性的にはああいう感じになるんですよね
    堀井 …と、思うんですけどね。
    浜村 どれぐらい進んでますか?
    堀井 んー、まあ、8割…10割ぐらいですかね。
    浜村 10割だったらできてるじゃないですか!


    浜村 じゃあ、ドラゴンクエストIX。これはいかがでしょう。ネットで繋がって遊ぶというのは初めてで楽しみにしてるんですけど。
    堀井 今回、例えばローカルネットワークで、ワイワイやったら楽しいだろうなと、そういうことでDSを選んだんですよ。
    浜村 ソロでもずっと遊んでいって、エンディングまで迎えられる?
    堀井 ソロで遊ぶ時間のほうが長いと思います。たまにパーティで遊んでも面白いみたいな。
    浜村 パーティーはどんな感じで組むんですか。
    堀井 あー、言っちゃって良いのかな。やっぱりルイーダの酒場かな…と。あんまり答えられないな。
    浜村 それでみんなで集まってワイワイとボスを倒していったりと。
    堀井 これ(戦闘シーンスクリーンショット)はあくまで仮の画面なので、戦闘も、いろいろ変わるかと。
    浜村 あっそうなんですか
    堀井 あ、それもまた言っちゃ…。


    クリエイター紹介:小島氏
    続いてコナミの小島秀夫氏。浜村氏は小島氏のことを「小島監督」と呼ぶ。

    浜村 小島監督はファミコンが出たときは…?
    小島 大学生の時でしたね。
    浜村 若い頃を想像すると、映画を毎日3本も4本もみているって感じがするんですけど。
    小島 その頃はそんなに見てませんでしたけどね
    浜村 初めてゲームに触れられてこれはすごいなと思ったのは
    小島 インベーダーは余りやってなくて、どっちかというとデパートの屋上になるメカトロみたいな、ベルトコンベアの上に車があるやつとか。あとビー玉とかメンコとか。コンピュータゲームはあまり遊ぶ機会はなかったですね。大学に入ってからゲームセンターに行って、そこからです。


    浜村 ゲームをお仕事にしようと思ったのは
    小島 映画を撮りたかったけど誰も撮らせてくれへんので、小説を書いてたんですけど、誰も読んでくれへんで。ファミコンが出て、ゼビウスとか買ってはまりましたね。スーパーマリオと、堀井さんのポートピアをやって、映画じゃないけど新しいメディアで自分の考えたものを作れるんじゃないかと、そのへんで決めました。
    浜村 なるほど
    小島 なんの助言もないですし、みんなに反対もされましたけど。
    浜村 当時のゲーム業界って得体の知れない感じがしてましたね
    小島 友達とか銀行員とか株関係の人とか多いんですけど、気でも触れたのかと言われた。
    浜村 コナミは地元だったから?
    小島 当時はポートアイランドにあって、それだけです。入社面接で色々言ったけど、全部嘘です。御社はどうのこうのと、全部嘘です。


    浜村 小島監督の作品…メタルギアのMSX版
    小島 この画面、プレイヤーと敵が2名。これぐらいしかでなかったんです。
    浜村 あとスナッチャーズ。当時、ファミコン対MSXというのがあった中で、小島監督はなぜか家庭用のゲーム機じゃなくて…
    小島 そう、ファミコンかアーケードを作りにコナミに入ったんですけど、MSXの所属長に気に入られちゃいまして…迷惑なんですけど…
    浜村 不本意だったんですか?
    小島 いやあ、不本意ですよ!
    浜村 言い切らなくても…。
    小島 MSXってマイナー・システム・エックスの略なんですよ!
    浜村 ははは
    小島 今考えるとですね、アクションゲームでは勝てないんですよ。その当時アーケードのハードを作っている部署があったので、色を出したければそのハードを作れば良かったんですよ。その中で僕らは8色で作ってましたから。その中でどうやったら勝てるかというと、世界観とかお話とか、そういうテキストの情報量とかそれで勝つしかないと。それで作ったのがメタルギアとスナッチャーズなので、当時ファミコンに入ってたらアクションゲームを作っていたかもしれない。
    浜村 当時僕は小島監督の作品を見ていて、「どうしてこの人はかたくなにMSXにこだわってるんだろう」と
    小島 いやいや、こだわってない。
    浜村 意外なことにPSになってから家庭用のゲーム機に始めてるんですね…、いやPCエンジンか
    小島 そうですね。MSXとPC88、PC9821とかパソコンの部署だったんで…。PCエンジンもやりました。それと…これ、知ってますよね?3DO。
    浜村 ははは
    小島 僕のところにまわってくるハードはですね…あんまり言えないんですけど…。ファミコンもやりたかったけど、そういう機会はなくて、ようやく96年にプレイステーションと。
    浜村 これだけの実績がありながら家庭用のゲーム機に来たのが遅かったと。遅れてきた天才。
    小島 いや、遅れすぎたというか。
    浜村 韓国のショウなんかも監督が出てくると長蛇の列が。200人ぐらい
    小島 そんなにない
    浜村 あったあった。E3でも、メタルの映像が流れると、そのへん道が無くなってメタルの映像が終わると道が空くと。モーゼの十戒みたいな。
    小島 うちの人気のないタイトルがかかると人がいなくなると。
    浜村 辛口ですね


    浜村 今作ってるのがメタルギアソリッド4。いかがですか?発売日いつなんですか?
    小島 …まだ。
    浜村 進捗状況はどうですか?
    小島 ボチボチですね。ようやく映画で言うとシューティング、撮影を始めたところ。セットが出来て、お話も決まって、仕様も決まって、順番に作っていくと。
    浜村 言って良いのか…、来るときのバスの中で「毎日モーション撮ってる」とおっしゃってましたが。
    小島 ええ、三ヶ月ぐらい撮ってますね。アフレコも同時にやってるんですけど。
    浜村 本当に、PS3を買った方が心待ちにしてらっしゃる
    小島 ああ、まだ買わんでいいんじゃないですかね?
    浜村 ははは。

    クリエイター紹介:名越氏
    三番手はセガの名越稔洋氏。真冬でもやっぱり黒い。
    参考までに2002年当時の名越氏、そして最近の名越氏。この間にいったい彼に何があったのだろうか…。

    浜村 名越さんはファミコンが出たときは18歳。最初は映像技術の東京造形大にいらっしゃった。
    名越 僕は映画をやりたくて学校に行ってて、職も探さなきゃいけないしと。ゲームはファミコンが好きだったんですけど、任天堂さんが京都にあるのを知らなくて…、京都はイヤだなと。それで、東京にあるセガが良いかなと。

    浜村 アーケードのAM2研、鈴木裕さんたちの所にいて、CGアーティストをしていたんですよね?
    名越 そうですね。最初はデザイナー。自分が直接ディレクターをしたのがデイトナUSA
    浜村 このときにはじめてプロデューサを
    名越 プロデューサ兼ディレクター。お金勘定して、人を集めて…勉強になりました。

    浜村 このあと、スーパーモンキーボール。そして龍が如く。ものすごく守備範囲が広いですね。これはこだわりがあって?
    名越 良い言い方をすれば「今思いついて一番良いことをやる」。本当は僕はこっちのほうが良いと思っているのに、外からどう見られているかとか市場的にどうだとか考えてやると、心残りがある。実際会社としては利益が上がればそれで良いわけだから、よほどの事情がない限りはクリエイター的に気持ちいいものが一番良いだろうと。
    浜村 「龍が如くが売れなかったら辞めてやる」みたいなことをおっしゃていましたよね…オフレコでしたけど

    浜村 龍が如くの次の作品も作ってらっしゃると思いますけど、何てタイトルですか?
    名越 いやいや。龍が如くでは、マーケティング的には広げられたと思っています。30代以上の人が恐ろしい数がいたわけですし、女性が2割いたんですよ。9割以上は男性と思っていたら1/4が女性だったのは、この後の参考にしようかなと。
    浜村 大人も楽しめるドラマだったところが評価されたと思います。
    名越 "綺麗"を売るからリアルになるんじゃなくて、たとえば体力が亡くなってきたらコンビニに行けば体力回復できるだろうとか、日頃目にする符号をそのままゲームに使えるといった、違った意味のリアリティが考えられたのが良いかなと。

    クリエイター紹介:上田氏
    最後に上田文人氏の紹介。

    浜村 上田さんはファミコンが出たときは13歳?
    上田 ええ、でもファミコンは持ってなくて、ずっとセガを。

    浜村 ゲームをお仕事にしようとしたのはどういう瞬間だったんですか?
    上田 ゲーム業界に入ったのは25歳の時で、大学を卒業して美術の作家になろうと活動をしていたんだけどそれだと食べられなくて…。それとあわせてコンピュータに興味があって、CG技術を身につけたんですね。そしてそのCGの作品をゲーム会社に売り込んでました。
    浜村 一番最初はワープに入られた。エネミーゼロの頃ですか?
    上田 ええ。エネミーゼロが立ち上がる前に入って、終わるぐらいにやめて。CGのアニメーションをやってました。
    浜村 懐かしいですね。
    上田 大変でしたね
    浜村 それは、上にいる人が大変だったんじゃないですか?
    上田 いえいえ、仕事がハードだったんです。そのころ、一日に何カットもCGを作らないと終わらなくて、仕事をため込んでいて、その時に覚えた仕事のスピードはいま生きています。
    浜村 その後ICOとワンダと巨像を。すごく、作家性を感じるんですがこだわってらっしゃる?
    上田 自分としてはあまり意識していなくて、当たり前のものが当たり前に存在しているだけなんですよね。設定をものすごく細かくするわけでもなくて、一画面にしたときに完成度の高いものにしようと作っているんですよ。

    浜村 新作はまだ名前が出ていないんですけど、PS3ですよね。どんな作品を作りたいなと思ってらっしゃいますか?
    上田 …難しいですけど、暇つぶしのためのゲームじゃなくて物語性のあるゲームを作りたいなと思っています。
    浜村 いつぐらいに楽しめますかね
    上田 ちょっと早くしたいなと思ってますけど、遅れることを前提にしていると遅れちゃいますので。
    浜村 今年遊べますか?来年かな?
    上田 うーん。


    これで半分ぐらい。続きは後ほど。


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    この記事の前後の記事
    2007年03月09日:もらった&買った
    2007年03月04日:福岡ゲームクリエイターズサミットに行ってきた

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    コメント

    すごい、福岡!やりますね。
    県や市をちゃんと巻き込んでるところがエラいです。
    若い人が東京に流れていくのを止めることもできますし、今後の発展に期待します。

    ★★★★★★★★★★★
    堀井さんのことについてはマンガ「ドラゴンクエストへの道」で、チラッと読みましたが
    堀井氏本人の語りで読むことができるとは……オイラも感慨深いです。
    歴史上の人物に会ったときのような感動です。

    桜井さん、インフルエンザらしいですね。いやホント体は大事にとしか言いようがないです。
    皆さんもお気をつけて、ってもう3月ですが。

    ドラゴンクエストⅨが、XⅠになっていますよ。


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