2018年09月13日
友達の写真を撮りたい
前回の記事で、30時間超えの誕生日パーティの話を書いた。
そのパーティで、一つ面白いエピソードがある。
基本的に参加メンバーは、キンプリで知り合った若い友人たち(※)なのだけど、10年前からの友人(会うのも10年ぶりぐらい)がひとり混ざっていた。
※過去に散々説明したので適当に過去記事見てください
彼が普段からアロハシャツを着ていて、なんとなくノリで「じゃあみんなもアロハ着よう」という流れになり、参加メンバーの大半がアロハを着てきた。
大変面白い光景だったのだが、集合写真を撮っていなかった。
あとでiPhoneを見たら、前回の記事に載せたそうめんと、雑然とした料理の写真のみ。
顔写真1枚もなかったし、アロハシャツもほとんど写ってない。
普段からこんな感じで、顔写真を撮らない。
別の友人グループが東京から泊りがけで福岡に遊びに来たので、一緒にスイーツ食ったり太宰府いったり銭湯に行ったりした時の写真(途中でジャンプ版ミニファミコン買いに行った)
これで3日分なのだけど、びっくりするぐらい人が写ってない。
こちらは昼に流しそうめん、夜に手巻き寿司パーティを開いたときのもの。
FGOウエハースガチャとか、セールで2000円で買ったハンモックにカエールを載せて遊んだ写真はあるが、誰も写ってない。
後で思い出しても、この日誰が来てたっけ、みたいな感じになる。
先日のアロハコーデのように、この日はなぜかパリピコーデが義務付けられ、ディズニーやUSJで売ってるカチューシャ的なものをつけてそうめんを流したのだけど、その写真もない。
こちらは、ご飯食べて、花火して、銭湯に行ってFGO舞台の動画を見て寝て起きてラジオ体操してボドゲして〜みたいなことをだらだらやったときの写真で、一応人間は写ってるが、暗くてよく見えないし、またFGOウエハースを食べてる。
基本的に自分の友達はネットに詳しくて、個人情報に関する意識が妙に高い。
だから、よほどのことがない限り相手の顔を写真に収めることがない。
自撮りする趣味もないから、必然的に料理の写真やよくわからないものの写真ばかりになる。
Hagex氏の事件のこともあり、個人情報を隠す必要性は高いなと思いつつも、普段仲良く遊んでいる友達や、数年ぶりに会う友達の写真が手元にないのは寂しいものがある。
それで、以前から写真を取ろうと考えてはいたのだけど、普段撮る習慣がないので、どこかに遊びに出かけて集合写真を撮りやすそうなスポットがあったりしないかぎり撮るのを忘れてしまう。軽く食事をしたり自宅に招待した場合はほぼ撮る機会がない。
そんな中、ひとつの出来事があった。
友人が若くして亡くなったのだ。
大人数で集まったときに数回会った程度で直接的な会話もあまりしていないし、ネットでも交流もあまり深く行った記憶はないので、友人というより知人に近いが、付き合い自体は長いので結構ショックは大きかった。
コミュニティのハブになるような、広く交流をしていた人で、自分と共通の友人が非常に多く、訃報が流れたときに周囲が騒然とした感じになった。
親交のあった友人が思い出を残そうと、みんなから写真を集めるよう動いてくれた。
写真に撮られることをまったく拒絶しないタイプだったから、たくさんの写真が集まった。自分だったらそんなに写真は出てこないだろう。
それでも「この間一緒に食事したばかりなのに、料理しか撮らなかった」「あんなに遊んだのに、もっと写真を撮るべきだった」と後悔する声があがった。
訃報が流れた翌日、ちょうど故人と共通の友人たちと会う機会があり、故人の思い出話をしつつ「ちゃんと写真、残さないとね」と言ってお互いの写真を撮った。
iPhoneのインカメラを寝癖チェック以外に使ったのは久しぶりだ。
ニュースを見ていて、知っている芸能人の訃報が年々増えていると感じる人は多いだろう。
現役バリバリで亡くなる方は少なく、大抵は引退するか、活動を縮小してから亡くなる。そのため子供の頃は、活躍していた頃を知らない過去の人の訃報が多かったのが、大人になると引退済みも含め知っている芸能人が単純に増えるので、亡くなる人も増えたように感じるだけという話だ。
疎遠になる人も含め、長い人生を歩んでいけば、どんどん友人(元友人)は増えていく。
考えたくない話だが、同じ理屈で芸能人だけではなく友人たちの訃報にふれる機会が増えていくことになる。
そのときに、一緒に食べた料理の写真よりも、一緒に遊んだときの笑顔の写真を見たいと思うだろう。
まあ、死ぬ死なないの話は別として、単純にアロハ勢揃いのおもしろシチュエーションで写真を撮らなかったのがもったいなさすぎるので、今度からガンガン撮るようにします。