超かぐや姫!に超ハマった
超かぐや姫!というアニメ映画がある。
Netflixオリジナル映画で2026年1月22日に公開されたが、1週間限定で全国19館の映画館で1週間限定の公開も実施された。
…のだが、あまりにも人気でほぼすべての回が満席という異常事態になり、1週間たたないうちに上映期間は延長され、公開館も追加された。
私は、1週間限定公開が決まってから映画館の良い環境で初回を見ようと思いつつも我慢ができなくなり公開日前にNetflixで鑑賞した。そしてハマった。
二回目から新たな発見があるタイプの映画なので、初見を自宅で二回目を映画館の大スクリーンでというのも悪くない選択だった。映画館で鑑賞後は自宅で繰り返し鑑賞している。
冒頭で公開期間延長の話に触れたが、2週目以降は”ray 超かぐや姫!Version”のMVが本編終了後に追加で上映されることになった。このMVがとんでもない代物で、本編の裏側や先の話が新規映像で描かれている。
あまりに情報量が多く、ちょっと見ただけでは頭に入ってこないと思い、細かく解説と考察をしていこうと思う。この素晴らしい映画に対し、MVが後日談としてどう補完しているのかを語っていきたい。
当然、映画『超かぐや姫!』のネタバレの塊なので未見の人は先にNetflixや映画館で本編を見てほしい。
BUMP OF CHICKENの名曲『ray』のカバー
まず前提としてこの『ray 超かぐや姫!Version』は、BUMP OF CHICKENの2014年の楽曲『ray』のカバーであり、映画『超かぐや姫!』のエンディングテーマである。
歌詞がこの物語と非常にマッチしていて、超かぐや姫のために作られたと思えるほどだ。映画『秒速5センチメートル』と『One more time, One more chance』ぐらいマッチしている。
初音ミクとコラボした『ray feat. HATSUNE MIKU』もリリースされており、人気ロックバンドと電子の歌姫のコラボレーションは大きな話題になった。リアルとバーチャルの垣根を描いた本作にピッタリの選曲だと言える。
10年後の世界で富士登山
MVの冒頭は音楽が流れず、彩葉視点で富士登山するかぐやが映し出される。
彩葉「ちょっと、転ばないでよ」
かぐや「やっと、ここまでこれたね」

富士登山するかぐや
本編ラストの10年後の世界、かぐやが帰還したあとの世界だ
かぐやの胸元には、やちよが映し出されたスマホが見える。
なぜ登山しているのかはMVの最後で示唆される。
このあたりは考察の余地がかなりあり、長くなってしまうので最後にまとめて記載する。
原曲MVの再現

かぐや 彩葉 ヤチヨのライブ
印象的な円柱状のスクリーン、天井の同心円状の天幕、原曲であるBUMP OF CHICKENのMVと同じ構図である。本編挿入歌の「World is Mine」も原曲MVを再現していた。オマージュ元への敬意を感じる。

スクリーン内のヤチヨとハイタッチする普段着のかぐや
『ray feat. HATSUNE MIKU』のMVのオマージュで、スクリーン内のツクヨミワールド内のヤチヨとリアル世界のかぐやがハイタッチするシーンもある。
リアルとバーチャルの交差点を示す印象的な場面だ。
彩葉と母親の関係性
rayの歌いだしから彩葉の過去が描かれる。

涙ぐむ幼少期の彩葉を抱きしめる母
「もっとがんばりましょう」と書かれたシールがほっぺたに貼られ、両目いっぱいに涙をためた彩葉を母親が抱きしめる。
映画本編では母親に関するエピソードは少なめで、「厳しすぎる母親に反発していたんだな」ぐらいの印象を受けるが、ノベライズ版を読むと、言葉による虐待とも取れるレベルの厳しい説教のフレーズが様々な場面で登場する。映画の方で、彩葉がかぐやに説教する言葉の多くは母親から受けた叱責をそのまま伝えているものだった。
MVのこのシーンは、そんな母親にもたしかな愛情があったことを示すものと思われるが、彩葉をこの状態にまで追い込んだのも母親だろうし、なんとも言えない場面だ。
三種の神器を持つ母親

酒寄家の4人。背景には母親が身につける3つの装飾具
酒寄家の4人が映し出されたカットの背景には弁護士である母・紅葉が大きく描かれ、「毒蛇のピアス」「浜の首飾り」「鋼鉄の鎧」の3つの装飾具が示されている。
こんなところでファッションチェックをしているわけもなく、単に身につけたものを示しただけとは思えない。
日本神話において、3つのアイテムと言えば三種の神器、すなわち天叢雲剣・八尺瓊勾玉・八咫鏡・のことだ。これらは太陽神でもある女神・天照大神(アマテラスオオミカミ)の所持品である。MV中盤の鳥居にも「天照須」の文字がある。
天照大神の弟神には月の神である月読命(ツクヨミノミコト)がいる。天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の妻である木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)がかぐや姫のモデルの一人という説もある。このあたりはどこまで深く設定があるか不明だが、まあ神秘性を持たせるための匂わせぐらいの要素だろう。
彩葉の背中を推してくれたAIやちよ

布団の中でAIのヤチヨと相談する彩葉
続いて、布団の中でスマホに映るヤチヨを眺める彩葉が現れる。
GrokのAIチャットを模したユーザインタフェイスなので、AIヤチヨと相談している場面であり、おそらくヤチヨ本体ではない。
相談内容は不明だが、ヤチヨの回答を見ると母親との関係性に関するものだとわかる。最後の行には「ただ、一緒にいると彩葉の」と表示されており、自立を促している。この相談を受けて彩葉が一人暮らしを決意したのだろう。
月世界=デジタル世界、月人=プログラム

月世界から地球を覗くかぐや
映画本編でも何度かかぐやの故郷である月世界が描かれていたが、一貫して写実的ではなくファミコン〜スーパーファミコン世代のようなドット絵で表現されている。
ノベライズ版でかぐやは、月での生活を「決められた役割をずーっと繰り返すだけなんだよね」と言い、他の月人のことを「こっちでいえばゲームのNPCみたいな感じ」と表現していた。終盤の回想でも「誰も歳を取らず、誰も本気で争わず、誰も死なない」と言い表されている。
これらのことから、水も空気もない月で地球人のような有機生命体が生活しているのではなく、実体を持たない電子生命体であると想像できる。ノベライズ版では「月人は肉体を持たない思念体」と表現されていたが、映像表現を見るとプログラムの一種と捉えて良さそうだ。その中で唯一地球に興味を持ち、月から脱走したかぐやはバグのような存在だろう。
そうなると、地球で彩葉とイチャイチャするかぐやの肉体は何だという話になるが、それについては彼女が飛来したときに乗っていたタケノコ型の宇宙船に3Dプリンタのようなものが内蔵されていたと考える。電柱から電力を得たと考えればゲーミング電柱も納得がいくし、8000年前に飛来した2度目のかぐやは外部から電力を得られず肉体の作成に失敗し、犬DOGEだけがFUSHIとしてウミウシに寄生し肉体を得た。
省略されたエピソード

学校でかぐやが彩葉の制服を着てジャンプしている
過去編が終わり、映画本編と同じ時期だが描かれなかった場面が映し出される。
彩葉の制服を着て学校と思われる階段でジャンプするかぐや。彩葉は私服を着ている。
かぐやが「かぐやも学校に行きたいー行きたい行きたいー」みたいなことを言って、ちょろい彩葉が制服を貸してあげたんだろうということが容易に想像がつく。

記念撮影をするかぐや・彩葉・真実・芦花
続いて映し出される場面では4人で記念撮影をしている。背景のミラーボールにTSUKUYOMIの文字が見えるのでバーチャル世界かと思いきや、4人とも普段の見た目なので現実世界だ。
おそらくUSJのようなテーマパークがツクヨミとコラボしたという設定なのだろう。
そしておそらくまたかぐやが「制服ユニバしたいいいいーー」と駄々をこねて彩葉の中学時代の制服を奪ったのだろう。わがままなかぐやとちょろ葉が愛おしい。

寿司を食べて衝撃を受けるかぐや
相当に高そうな寿司屋でかぐやと彩葉が寿司を食べている。
彩葉はビクビクしながら寿司に手を伸ばし、寿司を口にしたかぐやは衝撃でなんかおかしなことになっている。
お手拭きの雑な置き方やコースターに置かれていないあがりなど、描写が細かい。
引っ越し祝いか、ライブの打ち上げでかぐやが誘って行ったのだろう。
本編でかぐやが白甘鯛を捌いて寿司を握っていたのは、この寿司屋での体験が忘れられずネットで魚のさばき方や寿司の握り方を学習した結果ではないだろうか。
2時間20分とアニメ映画にしては長い作品だが、母親との関係の描写が大幅に省略されたり、芦花・真実というなかなかキャラの立っている同級生の出番が少なかったり、関係性を深堀りすればいくらでも人気が出そうなブラックオニキスもちょい役にしかなっていないなど、省かれている部分が多い。
それらを全て補える訳ではないが、ノベライズ版は映画で描かれていない部分をかなり補完している。彩葉が親友二人の愛の深さに気づく場面や、ブラックオニキスの意外な真実などが摂取できる。ちなみに、このシーンでかぐやは左手で寿司を持っているが、彼女が左利きである理由もノベライズ版の序盤に描かれている。ぜひ読んで確かめてほしい。
寂しくなんかなかったよ
ちゃんと寂しくなれたから

和傘をさすヤチヨ
場面が変わり、ヤチヨのこれまでの歩みが次々に映し出される。
このシーンは、満月が時計の針のように進み、音楽と同じリズムを刻んでいてとても気持ちがいい。

スキップするヤチヨ
「寂しくなんかなかったよ」の歌詞に合わせて笑顔で町中をスキップするヤチヨ。
ただし、その輪郭は光りに包まれ実体を持たないホログラムであることが示唆される。

ヤチヨの手をすり抜ける雨粒
続いての歌詞「ちゃんと寂しくなれたから」の場面で、空から降る雨粒がヤチヨの手をすり抜けていく。
実体を持たず、限定的にしか人と関わり合いを持てなかったヤチヨは長い間彩葉との再会を求め続けた。「ちゃんと寂しくなれたから」は様々な人達と出会い、愛しながらも、彩葉のことを一瞬たりとも忘れなかったことを示唆している。
いろPが踊ったー!!!

5人でのバーチャルライブ
サビの部分からライブパートが続く。
かぐや復帰後のライブなので、彩葉は「こんな歳でへそ出し衣装無理だよ」とか言いそうだが、ヤチヨに「ヤッチョなんて8000歳だよー」と言いくるめられたのだろう。
このライブパートはとにかく作画がいい。メインの3人のほかにも親友の芦花と真実もノリノリで踊っている。歌詞の「正常か異常かなんて」のところでブラックオニキスの3人が出てくるのもニクい演出だ。
この映像を映画館の大画面で見られるのが嬉しい。
かぐやによる彩葉の救済

クローゼットの中にいる彩葉
「ごまかして笑ってくよ」の歌詞で、クローゼットの中で泣いていた幼い彩葉が笑みを浮かべる。
歌詞の通り、この笑みはごまかしのもので、本当の笑顔ではないだろう。

クローゼットの彩葉を救い出すかぐや
他の場面を挟んで、クローゼットから飛び出す彩葉を抱きしめるかぐやが現れる。
この歳の彩葉はまだヤチヨと出会っておらず、かぐやもこの姿では存在していないから実際の場面ではなくイメージカットということになる。
だとすると、泣いていた彩葉もイメージであり、彼女の内面を表していたものだろう。
物語の序盤で彩葉は好き勝手わがままを言うかぐやを母親の言葉を借りて説教していた。
出会った当初の彩葉とかぐやの関係性は、母親と彩葉の関係性と相似している。
完全に管理された月世界から逃げ出したかぐやは彩葉と触れることで成長し、彩葉の元から巣立っていった。
その経験で彩葉は自身を管理しようとする母親の呪縛から解き放たれ、不完全性を手に入れた。
クローゼットは母親の呪縛であり、閉じ込められた彩葉をかぐやが解放したことを示している。
かぐやの届かない叫び

焼け野原に立つかぐや
途中、唐突に焼け野原に立つかぐやが現れる。
とびっきり明るいMVの中で違和感があるカットで胸が締め付けられる。
口元をよく見ると「い」→「お」の形に動いている。
戦火の中で「彩葉」の名を呼んだのだろう。
本編の中でヤチヨが8000年の間にいろんな出会いがあったことを語った。
それは楽しいおとぎ話で、ポジティブなキレイゴトだけを並べているようだった。
ヤチヨが定期睡眠に入ったあと、彩葉はFUSHIに「ヤチヨが隠してること、あるよね」と言って8000年のすべてを見た。映画の中では様々な人との出会いを描いていたが、このように露骨に残酷な場面は描かれなかった。
実際には、FUSHIが見せた記憶の中にこのような場面もたくさんあったのだろう。
映画本編は母親の描写を省略するなど、不快なものを避けている傾向があるから、MVで補完したのではないだろうか。
かぐやを本当の意味で人間に

メールを打つ彩葉の手
歌詞が終わり、後奏のメロディが流れる中、彩葉がメールを書く場面が出てくる。
「私はかぐやを本当の意味でにんげんに」と書いてある。
これが、冒頭の富士登山につながる。

富士山で穴を掘るかぐやと彩葉
二人は富士山中で穴を掘り、ヤチヨのマンションの水槽にあったタケノコを埋めている。
これはいったいどういうことだろうか。
彩葉はかぐやを本当の意味で人間にすると宣言した。
ヤチヨは様々な人と出会い、寿命の違いから別れを繰り返してきた。
かぐやに同じ悲しみを味わわせないように、不死を捨てさせる必要がある。
本編のラストでかぐやは再び肉体を得る。
タケノコ型宇宙船に備わった生成機能を使わず、彩葉自身が開発した肉体だ。
直前のシーンの乃依のセリフにある「アバターボディ」がその名称なのだろう。
おそらくアバターボディには寿命がある。
ただし、かぐや=ヤチヨの意識はタケノコの中に宿っており、それは月のテクノロジーで強く保護されている。
そのままでは本当の意味で人間とは言えない。
意識をタケノコから切り離し、アバターボディに移す。
その上で月からの干渉を防ぐために遠く離れた地に埋めただろう。
なぜ富士山なのかは竹取物語のオマージュに過ぎず深い意味はないだろう。
月に近いからとか何らかの特異点であるとか適当な理屈をつければ成立する。
このあたりは飛躍した考えになるが、もしかしたら月人を誤魔化すためにヤチヨを抜いた際に、代わりにFUSHIを入れたかもしれない。
不死を捨てる、
富士に捨てる、
FUSHIを入れて。
FUSHIには気の毒だがなんか綺麗にまとまったのでこれを自分なりの結論としたい。
捨てたのではなく掘り出したという意見も見かけたが、それを成立させるには影も形も存在しないもう一つのタケノコを出現させるための屁理屈を無理やりこねる必要がある。
本当にそうなのであれば観客の想像力を都合よく信頼し過ぎだし、そんな分かりづらい演出をしても作品としての面白さに何ひとつ寄与せず、困惑しか産まないのが致命的だ。少し無理があるように思える。
また、映画・MV・ノベライズを通して感じられたのは、完全に管理されて不死や安全を保証された世界と、自由で不完全で傷つくこともある世界の対比だ。人間性を手に入れるために月のテクノロジに解決を求めるのは本末転倒と言える。
最高の物語をありがとう

ヤチヨ・彩葉・かぐやの記念写真
MVのラストカットは最高の家族写真で締めくくられる。
さて、かぐや帰還後のヤチヨは何者だろうか。
・8000年前の記憶からかぐやを抜き出した残り
・かぐやとヤチヨは同一存在で電子世界のコピー
・純粋なAIアバター
いろいろと考えられるが、そのあたりはあえて濁しているように思える。
ツクヨミの観客一人一人にヤチヨが挨拶していたように、超かぐや姫の観客みんなにそれぞれのヤチヨがいるのだ。
願わくば、そのヤチヨが幸せな笑顔でいれますように。
