任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 3章:NINTENDO64 1996年(2)

ソフトが出ない
ソフトが3本しか発売されていないこと、ソフトに割高感があること、今後の予定が不透明なこと、様々な要因の中でNINTENDO64は爆発的には普及することはなかった。任天堂に危機感がなかったのだろうか、それとも開発上の問題があったのだろうか、同時発売の3本のソフト以降まったくソフトが発売されない状態が続いた。7月、8月と夏休みの間に1本もソフトが発売されず、次のソフトが発売されたのが9月も終わりに近づいた時期である。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 2章:NINTENDO64 1996年(1)

NINTENDO64発売
1996年6月23日、NINTENDO64が発売された。本体にはコントローラ1つ、ACアダプタ、説明書のみが同梱された。テレビとの接続に必要なAVケーブルはスーパーファミコンのものがそのまま流用できたからである。本体の形状は曲線を多用し今までの無骨な任天堂のハードとはちょっと違う印象を受ける。NINTENDO64の名称は全世界で共通の名称として用いられ、デザインも同じものを世界中で発売したのが原因だろうか。それまでは日本と海外では別のデザイン、名称で販売していた。例えばファミリーコンピューターは海外でNES(NINTENDO ENTERTAINMENT SYSTEM)という名で発売され、形状も日本のものとは異なっていた。余談だが、MOTHER2の主人公ネスの名はこの海外版ファミコンの名称から名付けられたものだ。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 1章:NINTENDO64 発売前夜

第三次ゲーム機戦争勃発
1990年代前期のゲーム業界はスーパーファミコンを擁した任天堂の天下だった。そして、1990年代中ごろにセガがセガサターンを、ソニーコンピューターエンターテインメント(SCEI)がプレイステーションを相次いで発売し、ゲーム業界は”次世代ゲーム機戦争”と呼ばれる競争の時代に突入した。仮に1980年代のファミリーコンピューターを中心とした市場争いを第一次ゲーム機戦争、スーパーファミコンやメガドライブなどが争った1990年代前期を第二次ゲーム機戦争とすると、これは第三次ゲーム機戦争と呼べるだろう。次世代機が発売されたあとも前世代機であるスーパーファミコンのソフトが次々と発売され、利益を上げていたため任天堂は悠然と構え、急いで次世代機を投入しようとはしていなかった。
1995年、任天堂は次世代機”NINTENDO64″を発表する。この次世代機については1993年にシリコングラフィック社と共同で開発を進めていると既に発表されていたが、名称やコントローラ等の形状が公開されたのはこの時期になる。それまではウルトラ64と呼ばれていた。任天堂は「ゲームが変わる ロクヨンが変える」のキャッチコピーを携えてNINTENDO64を1996年6月23日に定価25000円で発売。第三次ゲーム機戦争に参戦した。

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