いまのところはここまで

当時の雰囲気そのままに以前掲載していた記事を掘り起こしてほとんど文章をも改めずに掲載してみた。当時書いたのは2000年末まで。64DDやGBなども書こうと思っていたが、止まっている状態だ。頃合いをみて続きを書こうかと思っ … 続きを読む

任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 12章:NINTENDO64 2000年(2)

NINTENDO64の反省
8月24日に任天堂はスペースワールド2000に先駆けて”Nintendo,The Upcoming Generation”という名の業者向け展示会を開催した。そこでNINTENDO64の後続機であるNINTENDO GAMECUBEが発表され、2001年7月の発売とアナウンスされる。
その展示会で開発者の口からNINTENDO64について「反省」という言葉が飛び出した。開発者にとってまるで挑戦状を突きつけるようにとられるほど、NINTENDO64はソフト開発が困難だったというのである。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 11章:NINTENDO64 2000年(1)

低年齢層対象ソフトのヒット
前年末の発売ラッシュの後、2000年のNINTENDO64は静かにスタートした。この年、任天堂発売のソフトで最初に出たのは「星のカービィ64」である。3DCGを使って描写された2Dのアクションゲームで、開発は任天堂と長いつきあいのあるHAL研究所である。低年齢層を中心にヒットし、最終的に70万本以上を売り上げて2000年の全ゲームソフトのなかで9番目に売れた。HAL研究所は続いて釣りゲーム「糸井重里のバス釣りNo.1決定版!」を発売するがヒットには至らなかった。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 10章:NINTENDO64 1999年(2)

それでもソフトは発売される
任天堂の主力は次世代機に移っていた。しかしそんな状況でも任天堂はソフトを発売し続ける。6月には「マリオゴルフ64」が発売される。開発は任天堂ではなくキャメロットである。キャメロットはプレイステーションで大ヒットした「みんなのゴルフ」を開発しており、そのノウハウを使ってマリオゴルフを開発した。単純にキャラをマリオ達に差し替えたのではなく、様々な要素を盛り込んで飽きない作りになっている。ゲームボーイカラーソフト「マリオゴルフGB」と64GBパックを使って連携が出来るNINTENDO64ならではの仕掛けもある。
その後、7月には「オウガバトル64」が発売される。開発はスーパーファミコンでオウガシリーズを発売していたクエストで、任天堂の販売ルートを使って発売された。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 9章:NINTENDO64 1999年(1)

ロングヒットの登場
任天堂の1999年はハル研究所開発のソフト「ニンテンドウオールスター大乱闘スマッシュブラザーズ」(以下、スマブラ)で明ける。マリオをはじめとする任天堂の人気キャラクターを使った対戦格闘ゲームであるが、有象無象の対戦格闘とは一線を画する”乱闘”ゲームだった。相手の体力を0にするのではなく場外に持ち込む点、3Dスティックを”はじく”事により強力な攻撃が出来る点、4人同時対戦でまさに大乱闘といえるハチャメチャな点。どれをとっても今までの格闘ゲームとは違っていた。発売直後も売れ行きは好調だったが、1ヶ月ほどしてジワジワと火がつきだし、その後何ヶ月も売れ続ける驚異のロングセラーとなる。
スマブラの特異なところは、ゲームセンターでデビューした後に家庭用に移植されるか、たとえ家庭用オリジナルでも大ヒットには至らないという格闘ゲーム市場の常識を打ち破ったことがあげられる。RPGやアドベンチャーゲームを小説や映画にたとえるならば、このジャンルはスポーツである。スポーツであるにはルールがしっかりしていること、初めてのプレイでもすんなりとそのルールを理解することが必要だ。そのため、短時間で楽しませる必要があるゲームセンターにある格闘ゲームは続編ものであったり、既存のソフトと類似した操作性を採用する必要がある。しかし、スマブラはどの格闘ゲームとも異なる操作性、ゲーム性を持ちつつもすぐに楽しめる。それは徹底的に研究して作られたからであろう。
スマブラがスポーツであるため、練習用としてプレイヤが各自1本ずつソフトを買うことになる。それで売り上げが徐々に伸びてきたのだろう。また、映画的な一本筋のゲームではないため、クリアしたとしても売却されることがない。中古市場に流れにくいのだ。
いつまで経っても売れ続けるスマブラに対し、任天堂は非常に細かい仕様などが書かれたオフィシャルホームページを作成したり、大会を行ったり、ゲームのCMとしては珍しく発売後数ヶ月した後に新しいCMを作成し放映した。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 8章:NINTENDO64 1998年(3)

クリスマスが勝負の分かれ目
時のオカリナ発売後、12月には16本のソフトが発売される。1996年の頃を考えるとかなりの数だ。どのゲーム機でもそうだが、12月には大量にソフトが発売される。クリスマス、ボーナス、冬休み、そして正月とゲームソフトを買う機会が多いため12月に発売することのメリットは多い。しかし、大量のソフトが発売されるため他のソフトとの差別化が図れないと大量のソフトの中に埋もれてしまって誰も興味を持ってくれないことになる。
任天堂発売のソフトに注目してみていくと、まずは12月6日に発売の「バンジョーとカズーイの大冒険」がある。これは当時の任天堂のベストパートナーであるレアの開発によるもので、マリオ64タイプの3Dアクションゲーム。次に発売されるのが12日の「ピカチュウげんきでちゅう」である。このソフトは音声認識システム(NINTENDO64 VRS)を同梱し、マイクを通して画面の中のピカチュウとコミュニケーションを取るもので、品切れになり年が明けても手に入らない状態が続くほどの人気が出た。開発はマリーガルのアンブレラ。翌週18日には2本、「F1ワールドグランプリ」「マリオパーティー」が発売される。このうちF1ワールドグランプリは販売網が任天堂のものを使っただけで、本来はビデオシステムが発売する予定だった。マリオパーティーはハドソンが開発し、多数のミニゲームを盛り込んだまさにパーティー向けのソフトである。マリオパーティーは毎年新作が発売される人気シリーズとなった。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 7章:NINTENDO64 1998年(2)

高まる期待
最初、NINTENDO64が誕生した1996年末に「ゼルダの伝説64」は64DD用ソフトとして発売される予定だった。その後、1997年になってROMカセットでの発売に変更になり、さらに幾度かの延期を繰り返す。展示会でプレイ可能なバージョンが出展され、雑誌にも画面写真が載るようになる頃に1998年4月と決定したかと思えば、その1998年4月1日に”秋発売予定”と任天堂のホームページ上で延期が発表される。その後、サブタイトルが「時のオカリナ」に決定し、8月には11月14日発売、定価6800円と発表された。
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」はファミコンのディスクシステムで発売された初代「ゼルダの伝説」、「リンクの冒険」、スーパーファミコンで空前の大ヒットとなった「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」、ゲームボーイで発売され名作と言われる「ゼルダの伝説 夢をみる島」に続く人気シリーズの最新作である。度重なる延期、NINTENDO64のソフト不足による危機感、少しずつ公開される画面写真やシステム、自然とユーザー達の間で期待が高まっていった。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 6章:NINTENDO64 1998年(1)

パッとしない年明け
1998年も年明けはあまりソフトが出揃わない。前年末にディディーコングレーシングとヨッシーストーリーが売れていたがそれに続くものがなかった。その中、2月28日に発売されたのが任天堂のスノーボードゲーム「1080°スノーボーディング」だ。若干時期遅れの発売、コース数が少ない、2人までしか対戦できないなどマイナスポイントは多かったが、リアリティーのある雪の質感や、手応えのあるコース設定、操作性などが評価される。ゲームとしてのクオリティーと実売数のアンバランスさは1996年に発売されたウエーブレースのそれを彷彿とさせる。何が原因なのだろうか。任天堂内部で開発チームと広報の連携が上手く取れていないようにも思われる。このソフトに関して、1年後の冬にもCMを流してPRしたいと任天堂の宮本氏がコメントするが、実際にCMが流れることはなかった。
3月に入り、マリオカート64とスターフォックス64が、それぞれ同梱されていたコントローラと振動パックが付属しない単体版として4800円で再発売される。3月26日には「実況パワプルプロ野球5」を含めコナミが3本のソフトを同時に発売するなど、多くのソフトが発売される。しかしその後、4月から6月にかけて、月に3本程度のペースに落ちていく。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 5章:NINTENDO64 1997年(2)

出揃うソフト
6月に入ってから「スターウォーズ帝国の影」などが発売され、月に2,3本程度というペースであるが次第にソフトが出そろってくる。しかし、相変わらずジャンルは3Dアクションに偏ったままで本体の普及もままならない。そんな中、8月23日にレア開発、任天堂発売の「ゴールデンアイ 007」が発売される。同名の映画を題材とした主観視点型3Dガンアクションといういかにも一般受けしないジャンルで、まったく売れる要素のないソフト。しかし、購入したユーザーの評価は非常に高かった。従来のような爽快に敵を打ちまくって先へ先へ進む単純なゲームではなく、スパイさながらに遠くからライフルで狙撃したり、敵に気づかれることなく静かに行動したり新鮮な快感がある。そして、なにより対戦プレイの評判が非常に良い。相変わらず難易度は高いのだがレアの底力を見せつけるソフトであった。海外ではマリオ64に次ぐ売り上げとなる700万本以上の売上げを達成し、様々な賞を受賞。のちにレアは同じシステムを使ったソフト「パーフェクトダーク」を発表する。

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任天堂の20世紀、任天堂の21世紀 4章:NINTENDO64 1997年(1)

強敵登場
1997年1月、NINTENDO64ではなくプレイステーションで次世代ゲーム機戦争の決着を決定づけるソフトが登場する。スクウェアがファミコン、スーパーファミコンとシリーズ6作を発売してきたファイナルファンタジーの最新作、「ファイナルファンタジーVII」だ。このソフトでプレイステーションがスーパーファミコンの市場を受け継ぐハードと認識されるようになる。プレイステーション本体が売り切れになるほどの反響でプレイステーションの勝利を確実な物にしていく。
一方、そのときNINTENDO64はどのような状態だったのだろうか?──何もしていなかった。1月、2月と1本もソフトが発売されることがなく、1997年に最初に発売されたソフトは3月14日の「実況パワフルプロ野球4」である。これは1996年の「実況Jリーグ パーフェクトストライカー」に次ぐコナミのNINTENDO64ソフト第二弾となる。コナミが参入したことはNINTENDO64にとって大きな助けとなるが、コナミのほうとしてはマルチプラットフォームの一環としてNINTENDO64に参入したにすぎない。それでも、ROMカセットによるレスポンスの良さ、3Dスティックの操作性の良さからコナミのスポーツゲームをするならNINTENDO64に限る、という印象を少なからず植え付けられたことは低迷を続けるNINTENDO64にとってプラスとなった。

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